「文部省特選俳優」の魅力

演技者 小林桂樹の全仕事

このあいだ池袋の新文芸坐に佐藤勝特集を観に行ったとき、この特集のきっかけとなった本、小林淳さんの『佐藤勝 銀幕の交響楽』*1ワイズ出版)を購入したことは書いた(→4/12条)。3800円という高価な本であった。
ほとんど衝動的に買うことを決めて、お金を払っているとき気づいたのだが、同書の奥に、同じワイズ出版から出ている『演技者―小林桂樹の全仕事』*2を見つけ、思わず手に取った。
正直に告白すれば、この本をパラパラめくっていたら、『佐藤勝 銀幕の交響楽』を衝動買いせず、先に『演技者―小林桂樹の全仕事』のほうを買えばよかったと後悔した。でももう遅い。最初に買った本のために財布にはほとんどお金が残っていなかったのである。残っていたとしても、一気に2冊買うことはしなかっただろう。小林桂樹本は3900円とさらに高価だったのだから。
帰宅後調べてみたら、この本は別に新刊というわけではなかった。1996年に出た本である。言われてみれば以前にも見かけて、触手が少し動いたこともあったことを思い出してきた。たぶん、佐藤勝特集で、わたしが観た中平康監督作品上映の前日に森谷司郎監督の「首」「日本沈没」が上映されたゆえなのだろう。「首」は小林さん主演、「日本沈没」も重要な役で出演している。
忘れないうちにと、翌日大学生協書籍部のインターネット注文サービスで同書を注文しようとし、最後の「注文」ボタンを押す前に大事なことに気づいた。そもそもこれは10年以上前に出た本なのだ。古本で見つかるかもしれない。
注文ボタンを押さなかったことは言うまでもない。その数分後、代わりにネット古書店の注文ボタンを押したのである。売価は2000円だから、定価の半額とお得だった。最近新刊ばかり読んだり買ったりしているので、古書で買うという意識が薄れつつあるのがいけない。
さて本書は、小林さんの3歳年長(1920年生まれ)の映画評論家草壁久四郎さんと小林さんの対話形式で著されている。生い立ちから映画界に入るきっかけ、デビューを経て、インタビュー時点での現在(1996年)に至るまで、小林桂樹という不世出の俳優の俳優人生55年を、一年一年年ごとに出演作品を回想し、その作品の感想や共演した俳優、演出した監督に対する印象を尋ねるという魅力的な本であった。
表表紙には小林さん扮するところの「江分利満氏」、裏表紙には「裸の大将」の全身肖像写真が掲載されている。この二作が代表作と言えるのだろう。とりわけ岡本喜八監督の「江分利満氏の優雅な生活」は、自身も代表作と認めている。
本書巻末にある100頁近いボリュームのフィルモグラフィを見ていると、わたしも観たことのある出演作品がだいぶ多い。先に掲げた「江分利満氏の優雅な生活」や「首」はやはり印象的だが、サスペンス物の「けものみち」や「白と黒」も捨てがたい。もっともそれ以上に、成瀬巳喜男作品における飄々としたキャラクターが一番印象深いと言える。
一般的には、小林桂樹と言えば「東宝サラリーマン映画」の看板俳優ということだろう。あまりわたしは観ていないが、たとえば「三等重役」を思い出す。ちょうどこの本を買って読んでいるとき、日本映画専門チャンネルで「三等重役」「続・三等重役」と、「新・三等重役」4本が放映された。すべて録るのもどうかと思ったが、本書を読んでいたら、やはり録画しておこうと思い直したのだった。
この特集は「東宝サラリーマン喜劇の原点」と題するもので、東宝の看板シリーズ「社長シリーズ」や「無責任シリーズ」に先がけて製作されたサラリーマン映画をごっそり上映する嬉しい企画である。となれば、ほとんど小林さんの出演作品。ちょうど来週からは「サラリーマン出世太閤記」シリーズも放映されるので、これも録画するしかない。
小林さん曰わく、東宝サラリーマン映画の嚆矢は、山本嘉次郎監督の「ホープさん」(1951年)なのだという。

サラリーマン役者としての僕もここから始まるわけです。僕は、いわゆるうそっぽい二枚目っていうのを、ずーっと大映でやってたわけです。自分じゃ二枚目でもないのに、きどってなきゃいけないっていう。それがね、なんていうんでしょうか、多面的な人間性が出せるんでね、これだなって思ったんです。(97頁)
当時小林さんは大映の専属俳優で、二枚目として主役映画などもありながら、そこを突き抜ける人気を獲得するまでには至っていなかった。それがこの映画に出演し、のち東宝に移籍してから、俳優としての真価を発揮する。ちょうど大映時代末期に出演したのが、成瀬監督の「めし」であったという。本書では成瀬監督の人柄や撮影現場などの思い出も多く語られ、ここでも成瀬巳喜男という人間の「いじわるジイサン」ぶりが出てきて、個人的に好感が持てる。
自らを二枚目ではないと言い切るばかりか、自嘲気味に「文部省特選俳優」と自分の柄をつかんでいながら(「自嘲気味に」という言葉も本人のもの)、そうした型にはまらない悪役やアウトサイダー的な役も、自分の役者としての幅を広げるということで意欲的に取り組み、そのつど結果を出す。
冒頭「はじめに」にあたる対話では、同年齢の俳優として小林さんの口から、西村晃三橋達也船越英二根上淳、女性では、確か藤間紫さんが現役でがんばっていて、金子信雄木村功らが亡くなっている」と語られている。すでにそれから10年の間に、藤間紫さん以外すべての男性陣が物故されてしまった。となればやっぱり小林さんには、もう少し現役で頑張ってもらいたいものである。
これから小林さん出演映画を観るときには座右に欠かすことのできない一冊となった。