司馬遼太郎の熱い思い

ツィス

広瀬正さんの長篇『ツィス』*1集英社文庫)を読み終えた。
一昨年の4月、川本三郎司馬遼太郎両氏に導かれるように、広瀬さんの『エロス』『マイナス・ゼロ』二長篇を読んだ(→2005/4/10条・→2005/4/14条)。わたしはSFのなかではなぜかタイムトラベル物やパラレル・ワールド物に惹かれる。そして『エロス』『マイナス・ゼロ』は大いに満足させられたのである。
広瀬さんにはこのほかにもう一作、代表的な長篇がある。それがこの『ツィス』だ。神奈川県西部のC市に住む音感にすぐれた女性が感じた耳鳴りのようなツィス音から物語は始まる。この音は一女性の耳鳴りにとどまらず、やがてC市全体に広がり、それが次第に大きさを増してゆく。その後東京にも波及して、東京都民は一日中ツィス音に悩まされるようになった挙げ句、都は都民の日本全国への分散疎開政策を開始する…。
ツィス音とはドイツ語の音名で、嬰ハ音とも言い、要はドのシャープ音なのだという。時間物と異なって、音楽関係のことにはすこぶる弱いわたしのこと、『エロス』『マイナス・ゼロ』を読み終え、すぐに『ツィス』に手を伸ばすまでには至らなかった。
今回読んでみて、音楽関係に強い弱いなどまったく関係がなかったことがわかり、自分の妙なためらいを後悔した。
それにしても着想が素晴らしい。肉体的精神的疾患が原因でない耳鳴りのような高音がこの社会に蔓延し、次第にうるさくなっていったら、いったいどんなことが起こるのだろうか、そんな想像力の働かせ方に唸らされる。
一定の音が鳴り続ければ、その周波数より高い音は聞き取りにくくなる。この場合やや高めのツィス音なので、女性の声は男性の声以上に通らない。ツィス情報を伝えるテレビのアナウンサーは男性に交替になる。
音に悩まされる人々は家に防音処置をほどこす。目張りテープが飛ぶように売れる。体調を崩す人が出始める。ツィス音など聞こえないと主張する人は逆に精神異常と見なされる。そうした風潮になると、逆にツィス音をプラスに受容しようとする風潮も出てくる。たとえばツィス音を基底音として、それをうまく取り込んで作られた楽曲が発売されたり、またツィス音を和音の一つにしてしまう和音発生器が発売され、これまた売れる。
音が大きくなるにつれ日常生活に支障を来すようになる。車の運転が難しくなり、道路は時速15キロに速度規制される。ついには誰も車に乗るようなことはなくなり、道路は閑散としてしまう。ある一つの原因を置くことにより発生する様々な影響を微細に描き出す構築力に圧倒される。たとえば現在は東京国際フォーラムになっている旧都庁は、丹下健三氏によるガラス張りの建物だったため、防音改修に莫大な費用がかかる。そこで都庁機能が近くの第一生命ビルに移されるなどという細かさ。「第一生命の建物は、むかしの建築で、窓が小さいし、構造ががっちりしているから、防音がしやすいんだ」と登場人物に言わせている。
都民の疎開計画立案から実行、さらにツィス音が収まったあとの帰京に至るまで描写が細かく、人口がふくれあがり都市機能が麻痺しかけている大都市東京への批判も交えられている。都民のほとんどが疎開し終えがらんとした東京で活躍するのが、「つんぼ」のデザイナー榊英秀とその妻の美人モデル。
ツィス音のため耳の聞こえる人間は耳栓をしないと生活できない状態になる。そうなると「つんぼ」と同じ条件となり、もとよりそうした生活になれている榊の出番なのである。広瀬さんはあえて「つんぼ」と書き、榊をして「耳の不自由な人」というのはかえって失礼な表現だと言わせている。
『エロス』『マイナス・ゼロ』『ツィス』が直木賞候補になったとき、選考会で一貫してこれら広瀬作品を推したのが司馬遼太郎だった。『ツィス』の解説は司馬遼太郎が書いている(文庫版のもとになった『広瀬正小説全集』掲載)。このなかで司馬は、直木賞選評での広瀬作品への言及を引用しながら、「私自身の広瀬作品への感想の歴史」をふりかえり、あらためて広瀬作品への熱いオマージュを展開する。
司馬は『マイナス・ゼロ』を読み「この人の空想能力と空想構築の堅固さ」に驚き、『ツィス』を「自分の空想をどれほど精緻に計数化しうるかということに挑んだ作品」と評価する。わたしが感銘をおぼえたのもこの点だった。空想力の広がりと精緻さ。
さて、司馬はさらに『ツィス』に対して次のような感想を続ける。

『ツィス』には圧倒的な感銘をうけた。ごく平均的にいって、人間は五官によって生存を認識している。そのうち聴覚に、外部からほんの小さな変化を、持続的そしてひろく社会一般に加えるとすれば、人間はどうなるであろうかという空想的な実験意識が、着想になっている。ツィス音が聴こえる。空気のあるところ、どこにでも聴こえる。この変化が、個人の段階では、耳鳴りかもしれない、と思ったりする。しかし社会のすべてをこの音が貫き、普遍的にこの微量な音によって侵されていると知ったとき、緩慢なかたちながらもパニックがおきる。この空想上の実験によって、人間が、簡単に個のわくをこわして集団の大わくに入り、そのわくの中で似た反応を交換しあってやがては恐慌をおこすという結果を生む。
『ツィス』の魅力は、司馬遼太郎がまとめたこのパラグラフに尽くされている。この文章に少しでも心動かされた方は、ぜひとも読んでほしい小説だ。ただ表現の問題ゆえか、新刊では手に入らなくなっているのが残念きわまりない。