真実はひとつ

ラピュタ阿佐ヶ谷・津島恵子特集

「黒い潮」(1954年、日活)
監督・出演山村聰/原作井上靖/脚本菊島隆三津島恵子左幸子滝沢修東野英治郎/信欣三/河野秋武/安部徹/柳谷寛/芦田伸介/浜村純/夏川静江/千田是也青山杉作/小川虎之助/御橋公/中村伸郎

いい映画だった。
戦後1949年に起きた初代国鉄総裁下山定則轢死事件「下山事件」をテーマに、これを報道する「毎朝新聞」(毎日新聞)の記者たちを描く。毎日新聞は、朝日・読売が他殺説をとっているのと反対に自殺説を主張した。もっとも社内でも他殺説・自殺説が対立していたが、社会部デスク山村聰が「真実はひとつ」「根拠のない報道はしない」という姿勢を貫き、安易な他殺説主張をせず、結果的に自殺説に傾いた。社会部長滝沢修が彼をバックアップする。
捜査本部が自殺説を公表しようとした動きをいち早くキャッチし、勝利の凱歌に沸いた山村聰らだが、一転口外できぬところからの圧力により自殺説は見送られ、彼らは一敗地にまみれる。
その瞬間滝沢修は博多支局に連絡をとり、山村聰左遷を決めてしまう。「おいおい、さっきは自分が責任をとると言っていただろう」と、山村をかばう滝沢修の姿に、「理想の上司」的な包容力と男気を感じていたわたしは呆気にとられた。しかしその後滝沢も辞表を提出したことが社員の口から語られ、「そうこなくちゃなあ」と安堵する。
山村聰監督・主演ということもあって、前から観たいと思っていた映画だった。川本三郎『映画の昭和雑貨店』シリーズにもいくつか取り上げられ、観たさに拍車をかけていた。項目は、「新聞記者」(『映画の昭和雑貨店』)、「夏の風物詩」(『続々〜』)、「消えた名所」(『続々々〜』)の三ヶ所だけだが、妙に印象に残っている。
この「昭和雑貨店」的視点からは、「夏の風物詩」で取り上げられた氷柱が印象深い。下山事件が起きたのは七月上旬。梅雨明けしたかどうかという時期で、記者たちは「今日も蒸すねえ」と言いながら手ぬぐいで汗を拭き、扇子で風を送る。彼らの仕事場の真ん中に氷柱がクーラー代わりに持ってこられ、彼らは氷柱につけ冷水をひたした手ぬぐいを自分の額にあてたり、直接頭を氷柱にくっつけたりしている。
「銀幕の東京」的視点では、個人的な関心でさらに興味深かった。そもそも下山事件は、常磐線綾瀬駅手前、東武線と交差するトンネル近くで起こった。通勤のときいつも通る場所なのである。
当然記者たちの取材場面が何度も登場するが、一面田んぼの田園風景であるのを見て、まあ当時はそうなのだろうと納得しようと思いつつも、いまの風景を知っているだけに、そのギャップがなかなか受け入れられない。
後に小菅拘置所の建物が見えているから、綾瀬川であると思われるし、田圃の真ん中を流れている小川はたぶんいまは親水公園となっているところなのだろうと推察されるのだが、本当にこのあたり50年前はこんな景観だったのかしらんと訝るしかない。
最初遺体解剖が行われたのは東大であった。山村聰が取材のため医学部を訪れたとき、中学で図工を教わった恩師東野英治郎と遭遇する。山村が東大グランドから医学部へ降りるところの石段のへりに腰かけていると、東野英治郎と出会う。背後に安田講堂の裏側が見える。そのあたりは現在、道路が舗装され、小綺麗に整備されてはいるものの、基本的に景観が変わっていないことに逆に感動する。今度山村聰が座っていた場所に座りにいこう。
「昭和の銀幕に輝くヒロイン」として特集された津島恵子は、この映画では東野英治郎の娘で戦争未亡人。山村聰を慕う女性で、東野は山村に娘をもらってくれるよう懇願し、山村も一度はその決心をする。
最終的に彼は博多転勤と、亡妻(山村は過去妻を他の男との心中で喪っている)が忘れられないという理由で津島に直接断ることになる。川本さんはこのときの津島恵子の姿について、こう書く。

「黒い潮」の、山村聰を慕いながら、最後、亡妻のことが忘れられないという山村聰をあきらめる未亡人――あの「あなたとは結婚できない」と苦しそうにいうはるかに年上の山村聰をまるで、弟を見るようにかばい、いとおしそうに見るときの表情! 津島恵子を見ていると〝不幸がヒロインを美しくする〟という説を繰返したくなる。(文春文庫『君美わしく』48頁)
まったくそのとおりで、最初こそ悲しそうな表情をしていた津島恵子は、最後山村聰の固い決意を知ったときに、泣き崩れるのではなく、逆に笑顔を浮かべるのだ。その美しさ。今回の津島恵子も○だった。〝不幸がヒロインを美しくする〟という点、先日この特集で観た「鬼火」とも共通する。
それにしても自ら監督した山村聰は、津島恵子だけでなく、左幸子からも慕われるというおいしい役どころを演じている。まったくそれが嫌味でないのは、山村聰のキャラクターと言うべきだろうか。
山村聰の同僚で、仕事一筋で妻が実家に帰ってしまったという、自殺説に固執する記者信欣三が実に味わい深い。