房総に集う女たち

「赤い鯨と白い蛇」(2006年、ティー・オー・ピー/東北新社
監督せんぼんよしこ/脚本冨川元文/香川京子樹木希林浅田美代子宮地真緒/坂野真理

朝から絶え間なく強い雨が降り続く悪天候のなか、仕事帰り職場から神保町に出る。岩波ホールに入るのは初めてだ。これまで上映された映画のラインナップを見ても、今後ここでふたたび映画を観る機会があるかどうか疑わしい。だから、岩波ホールという空間の雰囲気を存分に味わおうと考えた。
場内に入ると、座席はけっこう古く、床は階段状でなくゆるやかな傾斜があるだけ。前列に人が座るとひょっとしたら前が見えにくくなるかもしれない。もっともスクリーンはやや上のほうにあるので、気にならないかも。たまたま前列には人はいなかった。
というより、歳末のせわしない時期に加えきわめつきの悪天候ゆえか、一緒に観たのは10人前後という極端な不入りの日だった。しかも男はたぶんわたし一人。この映画は男が観るものではないのかしらんと不安になってしまう。
作品自体は決して悪くないので、この不入りは時期と天候のせいであったと思いたいが、古びた雰囲気にこの不入りでは、岩波ホールの経営を心配してしまう。今回観たことが最初で最後の体験などということにならなければいいのだが。
さてこの映画は、(若い頃の)香川京子ファンとしてまず気になったものだった。もちろんこれは若き香川さんの昔の出演作ではなく、おばあさんを演じるいまの女優香川京子としての最新作である。
とある夏の日、娘の家で暮らしていた香川京子は、娘の死を契機に実の息子の家で同居することになる。物語は孫娘(娘の娘)宮地真緒と一緒に内房線に乗り、息子一家の暮らす千倉へ向かうシーンから始まる。息子一家と孫娘(そして彼女の父親)は合わないらしく、連絡もぎすぎすしている。
香川は、若い頃疎開暮らしをしていた館山(千倉の二つ手前)で途中下車し、かつて暮らしていた家を探したいと言い出す。館山駅を降り、香川の記憶をたよりに家のあった場所を訪ねてゆく。香川は軽度の認知症と診断され、物忘れが多くなっていることを恐れている。これが物語のキーにもなる。
ようやく訪ねあてた家は蔵や離れもあるような大きな民家で、ちょうどそれまで住んでいた母子(浅田美代子・坂野真理)が前日に引っ越しを終えたばかりで、がらんとしていた。浅田の夫はとある事情で数年前に家出し、戻ってこない。小学生の娘は父の帰りを待ち望み、妻はもう吹っ切りたいと思いつつ忘れられないでいる。
そこに、浅田が住む前に住んでいたという樹木希林が、家を取り壊すという知らせを受けて飛び込んでくる。物語はこの5人の女性だけで進行する。記憶を失うことを恐れる、疎開中の暮らしに秘密を持った老婦人(香川)、夫から逃げかつて暮らしていた家に身を寄せる老年の入口にさしかかった女性(樹木)、夫の影を背負いつづける中年女性(浅田)、付き合っている男性の子供を身籠もって戸惑う若い娘(宮地)、初潮を迎える少女(坂野)という、それぞれの世代の女性が館山の古い民家に集まり、彼女たちの人生が交錯しながら、香川の懸案解決とともに新しい人生に向けて再出発しようとする。
最近読んだ寺山修司に関する本でたしかせんぼんよしこさんの名前を初めて知ったような気がする。日本のテレビ創生期におけるプロデューサーの一人。放送作家としての寺山修司と無関係ではない。そんな経緯からもこの映画にも興味を抱いた。女性監督で出演者も女性ばかり。女性特有の心身の変化に焦点が絞られているから、女性客が多いというのは納得できる。
でも男が観ても悪くはないだろう。穏やかな内房の海に面した館山の風景。古い民家の広々とした空間。聞こえるのは波の音と、蝉の鳴き声。夕方になると蜩の鳴き声、夜には鈴虫やこおろぎの声。強い郷愁を感じる。とにかく民家の雰囲気がいい。プログラムによると、この民家は茨城県阿見町にあって、約200年前、江戸時代に建てられたものだという。
老いてもなお美しく、穏やかな香川京子さんの姿。宮地と一緒に弁当を食べているとき、自分のおかずを指して「おあがりなさい」と話しかける、その「おあがりなさい」というやわらかな言葉に忘れかけていた何物かがよみがえる。
サプリメント食品のセールスを仕事にする樹木希林が、出先の民家にいてもノートパソコンを取り出し注文をチェックする姿には違和感があったが、この映画では浅田美代子さんの演技がいいのに驚いた。今で言えば「からくりテレビ」などでの天然ボケの浅田さんしか知らないから、こんなすぐれた女優の才能があるとは思わなかった。