第3 鉄ちゃんの楽園

183系特急車輛

昨日土曜日は、所用のため妻が日帰りで仙台に行ってきた。二人の子供の相手をするということで、長男は自分の自転車で、わたしは妻の座席付ママチャリを借り次男をうしろに乗せて、四つ木までサイクリングに出かける。
地図を携帯しなかったため道に迷い、それが幸いして昭和のたたずまいが強烈に残る四つ木の商店街に迷い込むというハプニングもあったが、まあ無事に子供の相手をしおおせた。四つ木の商店街は丹念にたどれば面白そうだ。これはまた後日の課題。
日曜日の今日は、JR東日本の土日きっぷを使って出かけることにする。せっかく乗り放題なのだから、仙台に行き萬葉堂書店など古本屋めぐりもいいかと考えたけれど、いまひとつ古本屋めぐりをする気力が沸かない。そこで浮上した第一候補は福島県いわき市草野心平記念文学館だった。現在企画展“宮武外骨展”開催中なのである(来年2月18日まで)。
ところがこの草野心平記念文学館はスコブル交通の便が悪い場所にあって、とりわけ鉄道などの公共交通機関を使用する人間にとって不便この上なく、日帰りで観に行くのにはちょっと厳しい。
そこで次に目をつけたのが、群馬県桐生市にある大川美術館だった。桐生市出身の実業家大川栄二氏の個人コレクションを中心に、氏が自ら経営にあたり、松本竣介と野田英夫のコレクションが知られた日本でも有数の個人美術館である。いつか訪れてみたいと思っていたが、調べてみると桐生はJRも便がよく、美術館もJR桐生駅から歩いて行ける。ここに決めた。大川美術館について一項が設けられている池内紀さんの『ちょっと寄り道 美術館』*1(知恵の森文庫)を携え、いざ出発。
上野駅に着くと、ちょうど長野新幹線「あさま」の出発時刻が近い。往きは長野(上越)新幹線コースにする。桐生は、群馬県高崎と栃木県小山を結ぶJR両毛線のちょうど中間にあって(どちらの駅からもちょうど10駅目)、上越長野新幹線高崎乗り換え、東北新幹線小山乗り換えという二つのコースが選択可能なのである。
乗ったあさまは自由席もがらがらに空いていた。上越新幹線に乗ったことはあるが、長野新幹線に乗るのは初めてか。両毛線も初めてかと思ったが、あとで学生時代に足利を訪れたことを思い出した。このときは小山から両毛線を使ったはずだから、二度目ということになろうか。
時雨もよいの肌寒いあいにくの天気となってしまったが、初めて降りたった桐生の町は、古くから絹織物で栄えた商業の町ということで、町を歩く人は多くないものの、寂れきった地方都市という印象はない。晴れていればもう少し活気がある側面を見られたかもしれない。
さて大川美術館は桐生駅の北にある「水道山公園」という小高い山の中腹にある。駅から近いが、途中から急な坂道となり、最後の最後に階段を昇らなければならない。運動不足の身体にはこたえるが、坂道を一歩一歩登りながら美術館の建物に近づいてゆくという、アプローチとしてはとても魅力的なものだから、息切れする坂道も辛くはない。
建物が山の斜面に建てられているので、入ると展示室が上にあるのではなく、下に降りて行くというかたちになる。内部もたくさんの小部屋に分かれまるで迷宮のようで、下降感覚と小部屋の包容感とでとても落ち着ける雰囲気のいい美術館だった。池内さんはこうした美術館の順路について、「不思議な、そしてこの上なくぜいたくな胎内巡り」(前掲書67頁)と表現している。だから落ち着けるのか。
「「絵は人間」即ち人格と考えておりますので、内外有無名を問わず竣介・英夫を巡る人間的画家達を中心に蒐集」するというユニークなポリシーのもと、松本竣介・野田英夫をめぐる人脈に連なる有無名の画家の作品が蒐集・展示されている。受付でもらうリーフレットに掲げられた全収蔵作家の人脈図は上記の二人を中心にびっしりと線で結びつけられ、圧巻だ。
松本竣介・野田英夫はわたしの大好きな作家である。しかも大川美術館では、この二人に加え、わたしの好きな清水登之や国吉康雄らの作品も多くあって、こんなわたしの好みにぴったり合ったミュージアムはない。
松本竣介では、茶系の二作品「ニコライ堂の横の道」「運河(汐留近く)」が素晴らしく、しばし目が釘付けになった。とりわけ1943年に制作された後者に漂う静謐さは無類のもので、とうてい戦時中とは思われない、静かで眠ったような都会の姿が描かれている。
別の場所にこれまたわたしの好きな長谷川利行の「日暮里付近」という小品が掛けられていた。こちらからは、都会のざわめきと雑踏が聞こえてくるかのようであり、松本竣介長谷川利行の静と動というイメージをしばらく頭で遊ばせた。
田英夫は、東京国立近代美術館所蔵の「帰路」に比肩する「都会」という大作がいい。清水登之は「パリの床屋」に指を屈する。「地の底」にある展示室Ⅴでは、特別企画展「都市と生活―生活圏へのまなざし」開催中だったが、わたしは松本竣介を中心とした常設展だけで満足してしまった。
来た道を引き返し山を下りる。出かける前に調べたら、桐生はうどんが有名らしい。町中をうろうろ歩き回ってうどんを出す店を探したものの、まったく見つからない。食事のできる店すら乏しい。ファストフード系ばかりが目に入る。やむなく、かなり歩いてようやく見つけた普通の定食屋でラーメンを食べる。400円と格安。飲屋街のなれの果てといった裏路地に黒猫と白黒斑の猫二匹。
帰りの時間も調べないまま、来た電車に乗ろうと桐生駅に入り、そのままホームに上がると、ちょうど列車が入ってきた。昔の特急電車の車輛で、「快速とちぎ秋まつり号」という名前がついた列車だった。おあつらえ向きに桐生発上野行で、わたしとしてはそのままこれに乗るだけでいいではないか。
すぐさま改札口に引き返し、とちぎ秋まつり号の指定券を取って列車に乗り込んだ。よく見ると列車の最前部と最後尾にはカメラを構えた鉄道小僧たちが蝟集して、おのおの写真を撮り終えたら列車に乗ってきた。そんなにこの臨時列車は珍しいのかしらん。
帰宅後調べたら、この「快速とちぎ秋まつり号」は、両毛線の途中にある栃木市で五年に一度開催される「とちぎ秋まつり」(今年は17〜19日)に合わせて運転される臨時列車で、運転日は18・19両日のみ。この桐生発「とちぎ秋まつり号」はわたしの乗った一便だけだから、絶妙なタイミングでホームにたどり着いたということになる。
またこれも帰宅後調べたら、この「とちぎ秋まつり号」の車輛は、むかし国鉄で活躍していた特急の183系という車輛を使用しており、この車輛がいまではほとんどが廃車となっていて貴重らしいのだ。
桐生からは「鉄ちゃん少年」(中学生か)の集団が同じ車輛の前方に陣取っていた。また通路を挟んだ隣側には、「鉄ちゃんおじさん」が、母親とおぼしき老婦人と一緒に乗り込み、母親に両毛線電車の撮影ポイントなど、マニアックな話を開陳している。
さらに途中から「鉄ちゃん青年」(大学生か)の集団が乗り込んできた。なかの一人は相当なマニアらしく、仲間にこの車輛の天井の飾りはどうとか、座席はどうとか、いろいろ蘊蓄を傾けているのを、後に座っていたわたしも謹んで拝聴した。彼は天井をデジカメで撮影までしている。
この「鉄ちゃん青年」の講義中、隣の「鉄ちゃんおじさん」はどうしているかと様子をうかがうと、眠ったふりをして押し黙っていた。数駅乗って「鉄ちゃん青年」たちが下車すると(彼らは温泉巡りも兼ねているらしい)、また「鉄ちゃんおじさん」の講義が復活した。彼らの鉄道に注ぐマニアックな情熱は何なのだろう。多少なりともマニア気質のあるわたしですら、とめどなく溢れる「鉄ちゃん」の厖大な知識量には脱帽する。
とりたてて「鉄ちゃん」たちの蘊蓄は耳障りというわけではなく、かえっていい経験をさせてもらったと気分が弾んだ。そのまま乗り継ぎせず両毛線小山から宇都宮線経由で上野まで運転する「とちぎ秋まつり号」に乗っていればいいという安心感もあって、ぽかぽかと暖かい車内は思った以上に居心地が良かった。
これなら桐生駅でビールでも買い求めれば良かったと悔やんだがもう遅い。車内販売もないので、やむなくノン・アルコールで上野まで我慢する。美術館でいい絵を観て、町歩きを楽しんで、さて帰りの電車内で一杯、これがあれば完璧だったのに。画竜点睛を欠きちょっぴり残念な桐生行きの結末ならん。
【追記】この日の記事につきコメントをお寄せくださり、的確なアドバイスをいただいたid:desktoptetsuさんに御礼申し上げます。わたしの認識不足でした。ありがとうございました。