馬ッ鹿じゃなかろうか

「家庭の事情 馬ッ鹿じゃなかろうかの巻」(1954年、宝塚映画・東宝
監督小田基義/原作三木鮎郎/脚本賀集院太郎/トニー谷/伊吹友木子/千葉信男/重山規子/柳谷寛
「続家庭の事情 さいざんすの巻」(1954年、宝塚映画・東宝
監督小田基義/原作三木鮎郎/脚本賀集院太郎/トニー谷/竹屋みゆき/三遊亭小金馬/千葉信男/宇治かほる

自己嫌悪に陥るようなヘマをして、心身くたびれて帰ってきた。いまは番組改編期で特番だらけなのでテレビをつけても面白くない。録画していたトニー谷主演のシリーズ「家庭の事情」は一編が40分程度だということに気づき、これを観ることにした。すると意外に面白い。
トニー谷の「おこんばんは」とか、「さいざんす」、「レディース アンド ジェントルメン アンド おとっつぁん おっかさん」といった代表的なギャグについては本で読んで知っていたけれど、意識して映像で観るのは初めてかもしれない。後述する本で知ったが、そもそもシリーズの総タイトル「家庭の事情」も、シリーズ第一作の「馬ッ鹿じゃなかろうか」も、トニー谷の造語で流行語となったという。
映画で頻出する「馬ッ鹿じゃなかろうか」という言葉、「馬鹿」の間に小さい「ッ」を入れずに続ければ心底軽蔑した語感になる。「ッ」を入れ、多少の間をもたせることでユーモアが生じる。「馬ッ鹿じゃなかろうか」と何度か声に出してみると、自己嫌悪のモヤモヤも晴れてしまう。
それぞれストーリーは説明する必要のないほど他愛のないもので、わたしのような“トニー谷を知らない世代”にとっては、彼の口から次々に飛び出す日本語と横文字が奇妙に入り交じったへんてこりんな言葉を聞いているだけで愉快になる。
小林信彦さんの『日本の喜劇人』*1新潮文庫)のなかにある、トニー谷の芸に関する指摘は鋭い。

〈バッカじゃなかろか〉〈家庭の事情〉〈オコンバンワ〉〈さいざんす〉〈きいてちょうだいはべれけれ〉〈お下劣ね〉〈ネチョリンコン〉等々……日本語を奇妙にねじまげる才能がある。
 とくに〈家庭の事情〉というのが傑作で、「恋をするのも、家庭の事情……」という彼の歌(ソロバンの玉の音の間の手が入る)や、「これも、家庭の事情でありつれ、はべれけれ」という風に使われたので、以後、この紋切型の言葉は、日常会話や書面で使えなくなってしまった。これは、少なくとも、一つの批評であろう。(91頁)
その『日本の喜劇人』のなかでも印象的なのは、早稲田の大隈講堂で小林さんが遭遇した、ショーの終了後トニー谷が自らの意志で行ったヴォードヴィル目撃譚である。昭和27、8年頃だという。
してみれば映画はそうした全盛期のトニー谷を観ることができる貴重なものであるはずだが、このシリーズ四作に触れている小林さんは、すでに昭和29年の時点で「そろそろくたびれてくる」とし、三木鮎郎の原案であるが「いかに物好きな私も、もはや食指が動かなかった」と書く。いやいや、いまのわたしにとっては、物好きでなくとも十分に面白い。
小林さんのトニーズ・ヴォードヴィル目撃譚を引いて自らの“トニー体験”を綴った池内紀さんは、子供の頃友人たちとの間で「バッカじゃなかろうか」とか、「はべれけれ」を使っていたとふりかえる。
私は少年のとき初めて聴いたトニー谷の日本語の印象を忘れない。彼のことばの使い方は、アクの強さといったことだけでなく、もっと根源的な、ことば本来のいかがわしさに触れるものだったような気がするのだ。私たちは仲間同士でいるときはトニー谷の口まねをしたが、親の前では決して口にしなかった。もしかすると本能的に、それらのことばのおびている「ワイセツさ」といったものを正確に感じとっていたからではなかろうか。(ちくま文庫『地球の上に朝がくる』*257頁)
トニー谷は言葉のいかがわしさを熟知していた人間だった。それを証拠に「ざます」言葉はトニー谷が使って以降急速にすたれたではないかと池内さんは指摘し、彼の存在は「一つの言語的事件」だったと断じる。敗戦後急速にアメリカかぶれした日本人を戯画化したトニー谷の芸は「時代に対する鋭い批判を含んでいた」とする池内さんの指摘は、小林信彦さんの評価と共通する。
小林信彦さん、池内紀さん、それに色川武大さんの『なつかしい芸人たち』*3新潮文庫)に収められたトニー谷論「アナーキーな芸人―トニー谷のこと―」も加え、これらは彼を「邪道」「外道」「異端」とし、決して大衆迎合的でなかった芸の限界を論じていながら、痛いほどの哀感に満ち、同じ時代を生きた人間に対する共感が強くにじみ出て印象深いのである。
ストーリー以前に彼の存在や彼が発する言葉だけで愉しめるのは、彼の芸がもった批判精神が戦後という一時期だけに通用したわけではなく、本質的なものだったからだろう。