不良神父の無国籍活劇

「ろくでなし野郎」(1961年、日活)
監督松尾昭典/脚本星川清司二谷英明芦川いづみ中原早苗長門裕之郷硏治/安部徹/南風夕子/芦田伸介初井言栄

1961年初頭、石原裕次郎がスキー場で骨折し、赤木圭一郎がゴーカート事故で急逝したため、日活のスター男優陣にピンチがおとずれた。そこで主演のローテーションである「ダイヤモンドライン」に加えられたのが、宍戸錠二谷英明である。ただ、二谷英明の主演作は61〜62年に限られ、また重要な脇役者に戻る。
その貴重な主演作品のひとつが、この「ろくでなし野郎」だ。タイトルから内容がまったく想像できないが、渡辺武信さんの『日活アクションの華麗な世界』*1未来社)には次のように説明されている。日活アクションの華麗な世界―1954-1971

これは、パルプ工場建設のため、にわかに一種のブームタウンとなった田舎町へ、二谷がイタリア帰りの神父となり黒い法衣をひるがえして登場するという奇妙な設定だけでも記憶に値する。(240頁)
旧来の居住者と開発のためやってきた新参の居住者との間で、起業と土地をめぐって起こる紛争に、神父の二谷英明が割って入るのである。旧居住者側が中原早苗(父が殺される)、新居住者側が安部徹と息子の郷硏治。二谷は純粋な仲裁者でなく、中原の側に肩入れする。
イタリア帰りの神父に似合わぬ佐伯権太郎(ごんたろう)という名前といい、酒好き喧嘩好きな性格、ふんどしを往来に面したベランダに干すというデリカシーのなさなど、型破りであり、その彼がたまに十字を切ってみせたり、口から聖書の一節などが飛び出すミスマッチがとんでもなく愉快なのだ。
西部劇のように、砂埃が舞うような乾いた町並みでアクションが展開される。「二谷が砂嵐にまみれた法衣のすそをたくしあげて、飄々と町を去っていくラストは、西部劇の類型をすっきり模倣している点で、かえって快い」という渡辺さん同様、単純明快な勧善懲悪型ストーリーでエンタテインメントに徹した西部劇的展開がただひたすら心地いい。
単純な筋のなかで、長門裕之の役柄だけひねりが効かされており、これもくどさがなくていい。ヒロイン芦川いづみは、この映画でもまた曲がったことが嫌いな凛とした雰囲気を持つ女性であり、不良めいた二谷を最初は毛嫌いするものの、次第に惹かれるというおなじみの流れ。町を去る汽車に二谷と同車し、同行を申し出るときの美しさには息を呑んだ。風采のあがらないアル中巡査長の芦田伸介が最後に拳銃の使い手に豹変し、二谷と一緒にガン・アクションに加わるあたりも見物だろうか。
この映画でもまた、二谷が唄う主題歌が重なる。「えー、二谷英明にまで唄わせるの?」と驚いてしまった。上手いとは言えないのだけれど、冒頭とラストに流される単純なメロディがまた頭に残ってしまったのだった。もっとも、このあと家族と合流し、上野公園で開かれている「第4回子どもの本まつりinとうきょう」で子供の手を引っぱりながら児童書に眺め入っているうち、メロディのほとんどを忘れてしまったけれど。
さて、8月から始まったフィルムセンターでの「日活アクション映画の世界」だが、この「ろくでなし野郎」が予定の最後だった。計5本、すべて楽しむことができた。このラインナップには渡辺武信さんが協力している。ホールでは上記した渡辺さんの本も販売され、一度トークショーも開催されている。
映画を観ているうち、これら日活アクションをもっと知りたくなって、我慢できずにとうとう渡辺さんの浩瀚な『日活アクションの華麗な世界』を買ってしまったのである。これからは本書が日活映画を観るさい座右に置かれることになるだろう。