夢の兄弟共演

  • 秀山祭九月大歌舞伎・夜の部

歌舞伎座で歌舞伎を観るのは、五月團菊祭(傾城反魂香・保名/藤娘・黒手組曲輪達引)以来。三ヶ月も間をあけてしまった。歌舞伎自体は、七月に国立劇場の歌舞伎鑑賞教室で梅玉芝雀の「毛谷村」を観ているので、さぼっているわけではない。
今回の「秀山祭」は、俳名秀山こと初代中村吉右衛門の生誕120年を記念してのもので、孫にあたる二代目吉右衛門と、兄松本幸四郎が共演するという滅多にない機会だ。わたしが歌舞伎を観始めてからこの兄弟が共演することはなかった。今年になって、「伽羅先代萩」の仁木弾正と荒獅子男之助ですれ違い気味に共演したり、これは共演ではないが来月から国立劇場で始まる「元禄忠臣蔵」の通し上演で両者とも大石内蔵助を演じることで記者会見を開いたり、少しずつ距離が縮まっているのを感じた。
もっとも、この兄弟が不仲なのかというのは勝手な思い込みで、共演の機会がないのは松竹の狙いなのかもしれない。

菊畑

幸四郎の智恵内(実は鬼三太)と染五郎の虎蔵(実は牛若丸)。「幸四郎って、こんなに聴き取れない口跡の役者さんだっけ?」と訝るほど、台詞まわしに大らかさがない。そうであればむしろ幸四郎の鬼一法眼・左團次の湛海という組み合わせを観たいと思ってしまう。

籠釣瓶花街酔醒

吉右衛門の籠釣瓶を観るのは三度目だろうか。前回観たのは勘三郎襲名披露で、勘三郎の佐野次郎左衛門と玉三郎の八ツ橋、仁左衛門の繁山栄之丞だった。このときは玉三郎の、悔いのない毅然とした愛想づかしに新鮮な八ツ橋像を観、仁左衛門の栄之丞にそうさせるのを納得させる色男ぶりを感じたものだった。
今回、定番とも言える吉右衛門福助の八ツ橋、梅玉の栄之丞を観て、あらためてこちらも悪くないと思った。とりわけ梅玉の栄之丞。色男なのだが、それよりも坊っちゃん育ちの大らかさが滲み出ていて、そこがいい。芦燕の釣鐘権八から、八ツ橋が次郎左衛門に身請けをさせられそうだという話を聞き、憤慨しながら身支度を始めて帯をキュッと締め上げるあたりの癇性な面が、いかにも騙されやすい坊っちゃんという風情で、八ツ橋はそこに母性本能を感じているのではないかと邪推してしまうのだ。
吉右衛門の次郎左衛門、左眉の描き方がきりっと一筋通っているのでなく、途切れて心もち途中で上に上がっている。
歌舞伎を観始めたばかりの頃買い求め、飽かず眺めていたビジュアル本『中村吉右衛門の歌舞伎ワールド』*1小学館)の「籠釣瓶」の舞台写真を見ると、そうはなっていない。今回のようにすると、容貌がより醜悪な印象を受ける。『中村吉右衛門の歌舞伎ワールド』を座右に備えていた初心者の頃は、まだ籠釣瓶を観たことがなく、早く吉右衛門の籠釣瓶を観てみたいと熱望していたものだった。
この舞台で、幸四郎が吉原の茶屋の主人立花屋長兵衛として付き合い、初めて二人の共演を観た。この口跡からは茶屋の主人というより侠客の親分という雰囲気を感じる。来月幸四郎は初演で「髪結新三」を演じるらしいが、こういう柄であれば、新三より敵役の弥太五郎源七のほうが適役なのではないか。菊五郎の新三に幸四郎の源七という配役を想像する。

鬼揃紅葉狩

染五郎の更級の前実は戸隠山の鬼女と信二郎平維茂常磐津と竹本の掛け合いで、後半には大薩摩が出てくる賑やかな舞踊劇。