乱歩によらない乱歩

うつし世の乱歩

平井隆太郎さんの『うつし世の乱歩―父・江戸川乱歩の憶い出』*1河出書房新社)を読み終えた。
副題にあるように平井隆太郎さんは乱歩の子息であり、おりに触れ寄稿した父乱歩に関する文章や参加した座談・インタビューを一書にまとめた本である。巻末には隆太郎さんの子、つまり乱歩の孫にあたる平井憲太郎さんによる「あとがき 父に代わって」と、編者本多正一氏の解説「乱歩の空」が収められている。また、隆太郎さんの文章だけでなく、乱歩の妻隆さんが夫について書いたエッセイも3篇収められている。
乱歩の終の棲家は池袋立教大学に隣接していた。東京に越してまもなく、蔵もなお残る乱歩邸を見にでかけたことが懐かしい。その後この乱歩邸は、敷地・建物、蔵内に所蔵されている書物・近世文学文献とともに隣接する立教大学に一括寄贈され、一昨年「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」が催されたさい、邸内が一般公開された(→2004/8/19条)。
そもそも隆太郎さんは旧制一高から東大文学部の心理学に進み、社会学者として立教大学で教鞭をとり、社会学部長も歴任した学者である。乱歩邸がそのままのかたちで保存され、資料なども散逸せずしかるべき機関に一括寄贈されたことは、隆太郎さんの功に帰するものだろう。
『うつし世の乱歩』を読むと、だいたいが1980年代後半以降、とりわけ乱歩生誕100年を迎えた90年代前半にかけ発表された文章がほとんどのようである。1980年代後半、講談社から刊行された『江戸川乱歩推理文庫』で遅ればせながら乱歩のファンとなったわたしにとって、いわば「同時代」であったわけだが、一部を除きそうした文章が書かれたことすら知らなかったので、内容的に知っている事柄が多かったとはいえ、興味深く読むことができた。
そもそも乱歩はあまりにも自己を語る文献を残しすぎている。他人が乱歩の評伝を書こうとしても、自らに関する資料を貼り継いだ『貼雑年譜』や、それらをもとにした自伝『探偵小説四十年』が目の前に屹立している。作品を語るにしても、それぞれの作品が執筆された経緯などを回想した自作解題がこれほど充実している作家もほかにはおるまい。
だから、本書のような本はかえって新鮮なのだ。連載締切間際になって、追いつめられストレスがたまった乱歩が、自ら撮影した八ミリフィルムの編集や障子の張り替えなどにいそしむ姿や(「漫画オタクだった乱歩」)、一回分を書き終わると、妻に読み合わせを命じ、いったん耳から文章を入れてみて推敲するなど、乱歩創作の興味深い舞台裏を覗くことができる。
乱歩の独擅場と言っていい他人に語りかけるような粘りのある文体、平易な文体は、このような音読という作業を経ることでできあがっていたのだ。

流行作家になってからは原稿を書き終えれば母が必ず読み合わせをする習慣だった。父は万年床に仰向けに寝そべって聞いていた。(…)語調が調わない場合は一々母が訂正していた。(「乱歩と机」)
母には必ず書いたばかり原稿を、声を出して読ませていました。自分は寝床に寝そべって聞いているわけです。そして「そこ、おかしい」と、直すんです。耳ざわりの悪い文章を直すんですね。昔はそういう習慣があったのではないでしょうか。お偉方が横になって、書生に本を読ませて聞いている。小説に限らず、どんな本でも耳で聞いていたのかもしれませんね。父の場合もその習慣の流れかと思いますが、とにかく耳ざわりのいい文章を心がけていたのでしょう。(「回想の江戸川乱歩」)
前田愛さんの論じる「音読から黙読へ」という近代における文学作品受容史のなかで(岩波現代文庫『近代読者の成立』)、乱歩作品は近代にあってなお音読を媒介としたリズム優先の文学作品を土台にしていたことが推測できる。
前田さんは、長谷川時雨の『旧聞日本橋』に拠り、一般庶民において音読によって享受されるテキストは主に近世の草双紙であったことを指摘する。乱歩作品がモダン都市東京の文学であるいっぽう、こうした草双紙の風合いをも色濃く受け継いでいることを考えるとき、「読み合わせ」というテキスト生成過程があったことを明かす隆太郎さんの証言は重要性を増すものとなるだろう。
本書を読み終えたあと、書棚の奥で埃をかぶっていた『江戸川乱歩推理文庫特別補巻 貼雑年譜*2講談社)を取り出して埃を払い、乱歩が作成した東京・大阪転居地図とそれに基づく職業転々の回想文を飽かず眺めてしまった。