世話焼きの存在意義

「晩春」(1949年、松竹大船)
監督小津安二郎/原作広津和郎/脚本小津安二郎野田高梧笠智衆原節子杉村春子月丘夢路三島雅夫三宅邦子桂木洋子坪内美子宇佐美淳/高橋豊子

とうとう小津作品の最高峰と評される“紀子三部作”に足を踏み入れた。
大学教授の笠智衆と一人娘の原節子は鎌倉住まい。笠が東京で行きつけの飲み屋の主人の話によれば、娘がまだ「おかっぱ頭」の頃は西片町に住んでいたという。東大なのか。娘が体調を崩して鎌倉に転地療養を兼ねて越したとみられる。
「行き遅れ」気味の原節子には、何かというと結婚の話がもちかけられる。いまでは、お年頃の娘さんに気軽にこんな話を向ければ、セクハラとも受け取られかねない。剣呑な世の中になったものだ。
原節子の結婚にもっとも積極的なのは叔母(笠の妹)の杉村春子。彼女の見合い相手を世話することになかば生き甲斐を感じているとおぼしい。現代の自由恋愛、自由結婚の時代、こうした世話焼きの年輩者は絶滅寸前だろう。適齢期になるととにかく結婚せねばならない。言われるほうも気乗りしないものの、真っ向から拒否するわけでもない。そういう世の中だったのだろう。自由になった今の世の中において、世話焼きの不在はいわゆる「少子化」「晩婚化」と無関係ではあるまい。昭和20年代において結婚とはそういうものだったのだ。
そして結婚すれば自然子供をもうける。昔だって今だって、子供が多ければそれだけお金がかかって、親は大変なはずだ。かつては、育てにくい世の中だから子供を産まない(産めない)という選択は考えにくかったのではあるまいか。家計を楽にするため子供を産まないという選択肢は一般的に存在したのだろうか。
ともかくも、原節子が杉村の薦めた相手との結婚を決断し、いざ結婚式の日。杉村の目に涙が浮かぶ。親身になって姪の将来を考えていたことがわかるのである。
ことほどさようにこの映画は杉村春子の存在感が際だつ。笠と鶴岡八幡宮に詣でたとき、社頭でがま口を拾い、中味を確認したあと「縁起が良い」と懐に収めてしまう。笠から交番に届けろと忠告され、そうすると返事したものの、結局届けなかったらしい。
また、原節子の結婚相手の名前「熊太郎」の名前で笠とひとしきり議論になる。彼をどう呼べばいいのか。「熊太郎」は山賊みたいだし、「熊」だと胸のあたりにもじゃもじゃ毛が生えているようだ。「熊さん」では落語の世界になってしまうから、あたしは「くうさん」と呼ぶことにするよ。このあたりのおかしさ。
岡田茉莉子が小津監督に、自分は小津映画では何番バッターなのかと訊ねたという挿話がある。小津監督は一番バッターだと答えた。では四番は誰なのかと畳みかけると、杉村春子であるという答えがかえってきたという。この映画を観ると、まさに杉村春子が安定感のある四番バッターであることがわかる。
小津安二郎 DVD-BOX 第二集