この人が粟津號か!

「四畳半襖の裏張り」(1973年、日活)
監督・脚本神代辰巳/原作永井荷風宮下順子江角英明山谷初男/丘奈保美/絵沢萠子芹明香/粟津號

今月の「宮下順子特集」では、神代辰巳監督の二本「四畳半襖の裏張り」と「赤線玉の井ぬけられます」をチェックしようと思っている。「四畳半襖の裏張り」は荷風の春本として有名で(ただし原作は「〜襖の下張り」)、何度かテキストに接したことがあるが、読んでいないから、映画がどの程度原作を反映しているのかわからない。
「初会の客に気をやるな」という花柳界の鉄則に堪えきれず愛欲におぼれてゆく宮下順子江角英明、会う機会に恵まれない二等兵(粟津號)と芸者(丘奈保美)、花柳界のしきたりを教え教わる置屋の女将(絵沢萠子)と半玉(芹明香)、それに艶笑話を語る幇間山谷初男)という四つのストーリーが、米騒動からシベリア出兵という大正初期の暗い世相を背景に織りなされる。
このなかで気になったのは、二等兵を演じる役者だった。およそ「ロマンポルノ」という世界とは無縁な感じの、色男でも二枚目風でもなく、鈍重で野暮ったい顔つき体つきの役者さん。冴えない二等兵という役柄がニンにぴったり合う。以前新文芸坐荒木一郎特集日で観た「白い指の戯れ」でも刑事役をしており、以来この人のことがずっと心のすみにひっかかっていたのだ。
「四畳半襖の裏張り」を観たあと、gooの映画検索でキャストを確認すると、この人こそ粟津號であることがわかって、ある種の感動をおぼえた。鹿島茂さんが『甦る 昭和脇役名画館』*1講談社)の「閉館の辞」のなかで、「追加上映を試みたい脇役たち」として名前をあげたうちの一人で、このとき初めて名前を知ったのだと思う。精悍で精力絶倫の男をイメージさせる名前の字面に、放っておけない何かを感じた。
あらためてネットで検索すると、ご本人の公式サイトに行きあたった。そうそうこの人この人。2000年にお亡くなりになっているとは知らなかった。最近まで脇役として活躍していたのだなあ。
プロフィールを見てさらに驚いた。秋田県男鹿市出身で、名門秋田高校の卒業生だという。さらに実家が浄土真宗のお寺で、大谷派住職の資格も持っていたらしく、ホームページには僧衣を着した写真も掲載されている。地元新聞紙「秋田魁新報」に連載したエッセイが著書としてまとめられているようだ*2濱田研吾さんではないが、この粟津さんの本もまさに「脇役本」に数えることができるだろう。読んでみたいと思わせる一冊。
ところで鹿島さんの『甦る 昭和脇役名画館』では、この作品で少女のようにあどけなく、女将の絵沢萠子から床入りの作法を教えてあげると言われ着物を脱がされ、ビクビク震えながら触られまくるという半玉役を演じた芹明香がラインナップされ、本作品にも言及されている。
鹿島さんは芹明香の魅力を「純情さが図太さであり、繊細さが大胆さであり、可憐さが猥褻さ」という「二つの要素が対立しているのではなく、いつでも交換可能」という「両面可逆性」と指摘し、それがうまく引き出された作品として「四畳半襖の裏張り」をあげる*3
この映画を観たあと鹿島さんの本をめくり返したため、観ていたときには芹明香の存在をあまり意識していなかったけれども、読むと「たしかにそうだったよなあ」と鹿島さんの鋭い分析に感心する。冒頭では子供っぽい半玉という雰囲気だったのに、ラストシーンに出てくる彼女はとても同一人物とは思えないのだ。

ところが、最後、芹明香が、置屋を開業した宮下順子のところに、早く水揚げしてくれる旦那を探してほしいと頼みにくるときには、あら不思議、もう、芹明香からは幼さは消え、ある種の女っぽさが漂いはじめているのである。
 この幼さから瞬間的に成熟へと脱皮する女の変容。これを神代辰巳は撮りたかったのだろうと察しがつく。(279頁)
いくら『甦る 昭和脇役名画館』が大好きだとはいえ、荒木一郎ならまだしも、ロマンポルノの女優芹明香の世界にまではちょっと…とためらっていたけれど、ひょんなところから『甦る 昭和脇役名画館』に接続してしまった。意図せず結びついたことが、なにより嬉しい。しかもこの映画により、しっかりと粟津號という俳優も意識に植えつけられた。粟津號を意識したという意味で、「四畳半襖の裏張り」を観たことは収穫だった。

*1:ISBN:4062131374

*2:『俳優がゆく』(旭出版企画)ISBN:4901262017

*3:先の新文芸坐の特集では、芹明香の日に本作品が上映されている。そのときはまったく関心をそそられなかったから、あらためて特集リーフレットを見返してこのことに気づいた。