喜ばしき映画ハシゴ

「重役の椅子」(1958年、東宝
監督筧正典/原作源氏鶏太/脚本猪俣勝人/池部良/団令子/杉葉子淡路恵子河津清三郎水野久美藤間紫柳永二郎/十朱久雄/東郷晴子佐々木孝丸/沢村いき雄/伊豆肇

山手線の人身事故のため西日暮里で乗り換えができず、慌てた。次の便に乗り新御茶ノ水御茶ノ水乗り換えで、わたしにしては珍しく時間ぎりぎりに到着する。それだけのことをして観に行った甲斐があった映画だった。傑作。原作は源氏鶏太のサラリーマン小説だが、管理職サラリーマンの一喜一憂が見事に描かれており、最後まで飽きることがなかった。
池部良は商事会社の総務部次長。妻(杉葉子)と子供と一緒に、子供が楽しみにしていた箱根旅行に出かけようと戸締まりをしかけたら、家の電話が鳴る。放っておけという池部に杉はそうもできず、電話に出ると、部長が脳溢血で急逝したという知らせだった。…
急遽旅行を取りやめ出社した池部は、その日部長が向かう予定だった大阪に代わりに出張するよう命ぜられ、重要な商談をまとめる役目を負わされる。社長(十朱久雄)は社に尽くした総務部長の死より商談が大事と見え、社員に遺体の背広ポケットを探らせ、出張の切符を取り戻す。このことを聞いた池部は鼻白む。寝台特急に入ってみると、部長と一緒に大阪に行く予定だったという二号さん(淡路恵子)と鉢合わせする。
故人との間に子供までもうけているという淡路恵子が、故人が子供のために貯金して机の抽斗にしまっていたはずという預金通帳を懇願され迷ったり、葬式をめぐる社長の対応を訝ったり、故部長と社内で対立しそれぞれ派閥を形成していた専務(河津清三郎)が「敵将を手厚く葬る」と言って意外に好意的な対応を見せ、彼の人心掌握術に感じ入ったり、次の取締役兼総務部長の椅子に色気を出したり…。
淡路に通帳を届けに行くと、淡路の親類という若い女性が同じアパートに住んでおり、それが歌声喫茶でウェイトレスをしている団令子なのだった。団令子は天真爛漫な女の子で、渋い「ロマンスグレーなりかけ」の池部良に一目惚れしてしまう。目の前で淡路が二号さんの悲哀を味わっているのを知りながら、将来のことでなく、今が大事なのだと池部に迫る団令子が可愛い可愛い。
仕事ができて部下にも慕われ、分別があり冷静沈着で渋い池部良だが、やはりサラリーマン、次の総務部長の椅子(重役の椅子)に無関心ではいられないし(部長室の椅子に座ってにやける演技がたまらない)、またキュートな団令子の求愛にぐらぐらしてしまう(団から買わされた歌声喫茶の歌本を見てにやける演技がたまらない)。このあたりの人間くささが素晴らしい。
総務部長の後釜に自分の親類を据えようという社長(十朱久雄)の縁故人事に嫌気がさし、これまで対立していた派閥の長である専務に近づく。専務は二号を伴って一緒に箱根の「清遊」を誘う。河津清三郎の二号は藤間紫。うーん、この旦那と二号の組み合わせ、成瀬巳喜男監督の「秋立ちぬ」でも同じだったような。
池部はこれに団を誘う。重役としての甲斐性が二号を持つことであるかのように、おあつらえむきに団に接近してゆくのだ。いざ箱根に泊まるけれども、夜藤間紫が胃痙攣を起こして一晩看病しなければならなかったため、団と一夜を過ごすことはできなかったのが幸いした。
団と東京駅でしっとりとした雰囲気で別れた*1池部には、それでも帰るべき家がある。メロンのお土産に大喜びする息子がいて、にっこりと帰りを迎える気立てのいい妻がいる。杉葉子に迎えられれば、それでいいのだと納得するのである。

あなたと私の合言葉 さようなら、今日は」(1959年、大映
監督市川崑/原作久里子亭/脚本久里子亭舟橋和郎若尾文子京マチ子野添ひとみ菅原謙二川口浩船越英二佐分利信/三好栄子/柴田吾郎(田宮二郎)/浦辺粂子

とうとう映画館をはしごするようになってしまった。いい映画を観ると、そのあとの気分に余裕が出るらしい。下北沢で観る予定の映画まで時間に余裕があることも手伝って、ラピュタを出てぶらぶらと歩き、北口アーケードの千章堂書店に立ち寄る。気分に余裕があると、いい古本も見つけられるようだ。

ほくほくした気分で、阿佐ヶ谷駅前の山形ラーメン屋「麺屋本笑家」にて、汗だくになりながらからみそラーメンを食べ、吉祥寺に向かう。吉祥寺から井の頭線で下北沢へ。井の頭線に乗ったことがないというわけではないけれど、吉祥寺−明大前の区間は初めてかもしれない。始発駅のたたずまいが好きだ。
下北沢に着いてもなお時間に余裕があったので、少し探検してみる。大行列をなす小さな劇場があったり、入り口によく見る名前の俳優さんから贈られた花輪が飾られた劇場があったり、下北沢は演劇の町であることがよくわかる。若い人たちの活気に満ちた町。
さて「あなたと私の合言葉 さようなら、今日は」は、市川崑監督初のカラー・シネマスコープ作品だという。映画館のリーフレットには小津安二郎調のパロディ満載」とあり、そこに期待していたのだが、あさはかにもほどがある、小津作品をきちんと観ていない者にパロディがわかるはずがない。お腹の具合がおかしくなったことと、「重役の椅子」に集中しすぎたせいか眠気が襲ってきたことで、いいコンディションで観ることがかなわなかった。
直前に観たのが、あまりにも面白かった「重役の椅子」だったことも気の毒だったか。これと比べるといまひとつのることができなかった。若尾文子が婚約者の菅原謙二に婚約破棄を申し入れようとするのだが、自分ではできず、大学の先輩である京マチ子に依頼する。ところが京マチ子が今度菅原に惹かれ、紆余曲折のすえ結婚するに至るというストーリー。
若尾文子のめがねっ娘ぶりは、たしか「婚期」でもそうだった。ちょっとインテリに見せようとすると、眼鏡をかけさせようということか。「婚期」でも独特の存在感があった京マチ子の飄々たる演技がいい。
若尾が結婚に踏み切れないのは、一人では何もできない父親(佐分利信)を置いて嫁ぐことができないからで、でも最後に佐分利信は子離れの決意を娘に伝える。このあたりが小津調なのだろうか。
菅原謙二と、若尾文子を恋しているのだがなかなか思いがつたわらず苛つく川口浩京マチ子の血のつながらぬ義兄で、京と結婚するつもりだった船越英二が、お互い女性を介してつながっていることも知らず、浦辺粂子の営むおでん屋でくだを巻くシーンが、大映スター揃い踏みという感じでゾクゾクする。
タイトルバックは河野鷹思で、相変わらずモダンで素敵だ。

*1:川本三郎『続々々映画の昭和雑貨店』(小学館)所収「握手」項では、このシーンが取り上げられている。