木曜日はオーバーアクト

  • 脇役列伝〜脇役で輝いた名優たち〜@新文芸坐
拳銃コルトは俺のパスポート」(1967年、日活)
監督野村孝/原作藤原審爾/脚本山田信夫・永原秀一/宍戸錠/小林千登勢/ジェリー藤尾嵐寛寿郎/内田朝雄/武智豊子/佐々木孝丸杉良太郎江角英明/草薙幸二郎
「偽大学生」(1960年、大映
監督増村保造/脚本白坂依志夫/原作大江健三郎ジェリー藤尾若尾文子藤巻潤/村瀬幸子/船越英二岩崎加根子中村伸郎伊丹一三/三津田健/高松英郎

疲れた身体に鞭打って、仕事帰り池袋に向かう。何もそこまでしなくてもいいのにと思わないでもないが、せっかく三回券を買ったのだし、今日のジェリー藤尾特集は見逃したくなかったのだ。一日が長い。仕事帰りの二本立てはさすがにきつく、「拳銃は俺のパスポート」を観ていたときにはウトウトしてしまったのだが、「偽大学生」を観終え、池袋の雑踏に身をゆだねると、疲れはどこかに吹き飛んでしまっている。
知らなかったが、「拳銃は俺のパスポート」はけっこう評価の高い映画らしい。以前上映したラピュタ阿佐ヶ谷の紹介文には「宍戸錠の代表作」とあるし、小林信彦さんも「20世紀の邦画100」(『ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200』*1文春文庫)に選び、「日本では珍しい、白黒のフィルム・ノワール」「宍戸錠がひとりで敵と対決するラストの冷えた空気がみごと」と褒める。鹿島茂さんの『甦る 昭和脇役名画館』*2講談社)にも、「かの蓮實重彦が日本ハードボイルド映画の傑作と称賛した」とある。
たしかに、気の抜けるところや笑いがほとんどない、乾いた雰囲気で一貫した映画で、このような宍戸錠のクールな役どころは、「硝子のジョニー 野獣のように見えて」を思い出す。二枚目半のアクション・ヒーローもいいけど、クールな役はそれに増して素晴らしい。
ジェリー藤尾宍戸錠の弟分。新文芸坐のチラシには「オーバーアクトなし」とあって、そのとおり彼も抑制したクールな演技。鹿島さんは宍戸錠ジェリー藤尾コンビに「ホモっぽい「兄貴・舎弟愛」」を、ジェリー藤尾「いささかホモっぽい「子分肌」の魅力」を見いだしているが、まさに至言で、宍戸錠にほのかな好意を寄せる小林千登勢(クリッとした目は矢田亜希子のようでかわいい)のまなざしも、ジェリー藤尾との「兄貴・舎弟愛」の壁にはばまれる。

ハードボイルドでジェリー藤尾がリンチを受ける弟分役を演ずると、妙に、「サン・セバスチャンの殉教」的な、ホモSMっぽい匂いがたちこめてくるのである。(54頁)
港一帯をなわばりにしている親分内田朝雄の脂ぎった雰囲気が忘れられない。
さて、『甦る 昭和脇役名画館』のなかでも、荒木一郎の「ポルノの女王 にっぽんSEX旅行」や川地民夫の「狂熱の季節」を取り上げたくだりとともに白眉と言っていいのが、ジェリー藤尾の「偽大学生」論である。「この映画のジェリーは隔絶して「素晴らしい」」と始まるジェリー藤尾論の熱の入れ方はただごとではない。これを読むと否が応でも期待を抱かされ、実際観終えると、絶賛が鹿島さんの身贔屓ではなかったことがわかる。鹿島さんの本であらかじめ知識を仕込んでおかずに観ても、この映画にしびれたのではあるまいか。
これでもかこれでもかと究極のグロテスクを畳み掛けるように繰り出す増村保造の演出が冴えに冴え渡る戦慄のラストだが、見おわった観客は、一人の例外もなく、こうつぶやくだろう。
ジェリー藤尾はすごい! この役はジェリー藤尾以外の誰にも演じられなかっただろう。ジェリー藤尾なくして、世紀の大傑作『偽大学生』なし」と。(62頁)
観終えたわたしはやはり例外ではなかった。虚と実、正常と異常、滑稽であると同時に悲惨であるという正反対の局面から生み出されるダイナミズムが疲れた頭に喝を入れる。東都大学(モデルは東大)のエリート学生のなかに混じる「偽学生」が逆に愛校心をもち、学生運動に身を投じ保守打倒を叫ぶ真剣さも「偽学生」に軍配が上がるという逆説。どちらが正しくどちらが悪なのか、どちらが正常でどちらが異常なのか、ジェリー藤尾の過剰な存在により二つの領域がくるりと反転する。
主演格の若尾文子は、気だるく抑えた演技でジェリー藤尾に主役を譲ったかっこう。若尾の父で、戦前軍部に抵抗したため大学を追われ、拷問でほとんど視力を失った高潔な元大学教授に中村伸郎、学内の事件を警察沙汰にしたくない穏健派の総長に三津田健の文学座コンビ。
ジェリー藤尾を監禁する学内のグループ「歴史研究会」のリーダーは伊丹一三で、彼は肝心なところにくるといつも「(学生運動の)本部に行く」と逃げを打つ。「歴史研究会」の顧問格に助教授の船越英二。彼は恩師中村伸郎の長女岩崎加根子と結婚するが、岳父の中村伸郎とは違い転向者で、岩崎とも離婚寸前という状況。
この間の鹿島さんの話によれば、映画は原作者(大江健三郎)の意向でソフト化されていないとのことだったが、たとえそうでなくとも、いまの表現規制社会ではソフト化はおろか、テレビで流すことすら難しいかもしれない。今回の企画は貴重な機会だったわけだが、また将来上映の機会があったら、逃さず再見したいものである。