地下鉄と都市の哀愁

地下鉄に乗って

大いに笑わされ、かつ泣かされた浅田次郎さんの『椿山課長の七日間*1朝日文庫、→2005/9/19条)は、文庫で出た時点で帯にテレビドラマ化と書かれてあった。あまりに面白かったためすぐ妻に一読を薦め、面白さを分かち合ったのだが、そのあとで、椿山課長は誰がいいのか、課長が七日間だけ生まれ変わることが許された仮の姿の美女は誰がいいのか、二人でああだこうだと話し合ってもなかなか適役が決まらず、とにかく早くドラマを見たいものだという結論に落ち着いたのである。
そうこうしているうち今度は映画化の話も聞こえてきた。ドラマ化とあった時期はとうに過ぎているから頓挫したのだろうか。映画のほうに期待を寄せることにしたのである。
先日書店にその朝日文庫版『椿山課長の七日間』が平積みされてあるのを見つけた。そこには映画配役決定の帯がかけられており、椿山課長が西田敏行、美女が伊東美咲だとある。椿山課長はハゲデブおやじという印象があるから、体格こそぴったりであるものの、ハゲでないのが気になる。美女が伊東美咲というのはまあ納得できるが、そうなると、生まれ変わった椿山が素っ裸になって変身した自身の女体を触りまくり陶然とするという場面は映像化されないのだろう。ちょっぴり(いやかなり)残念である。それとキャストのもう一人に成宮寛貴の名前があったが、彼はどの役なのだろう。自然に考えればいま一人の重要人物であるヤクザの親分=大学教授であるが、ちょっと若すぎる気がする。
ところで、『椿山課長の七日間』の隣に同じ作者の地下鉄メトロに乗って』*2講談社文庫)も平積みされており、そこにも「映画化決定!/2006年銀幕公開」という帯がかけられていたのに反応してしまった。『椿山課長』以来、浅田次郎さんのこの手の現代小説がすこぶる気になっており、その筆頭がこの長篇だったのである。
この文庫本なら、これまでもブックオフなどで何度も見かけている。安くあげようと思えば、何も新刊書店でわざわざ買わずとも、少し我慢して後日ブックオフに行けばいい。先日ある方から、わたしの本(古本)の買い方(購入を決める契機)は値段でなく、その場の雰囲気・シチュエーションであると見事に喝破された。その伝でいけば、今回の場合もまさにそれが当てはまる。我慢せずその帯の巻かれた新刊を買ったからだ。
むろん財布の中味に限界はあるから、値段に無節操であるわけではないが、そのときどきの自分の関心のありどころ、体調、本を見つけたときのシチュエーションなどがぴったりはまったときに味わう愉快な気分が優先するから、さほど値段は気にならない。いざ買わん。そうして買った本ほど、積ん読の憂き目にあわずすぐ読むことになる。
前置きが前置きにならないほど長くなってしまった。『地下鉄メトロに乗って』は吉川英治文学新人賞受賞作である。要は浅田さんの出世作ということになろう。帯に「涙なしには読めない感動の物語」という惹句があって、むろんわたしが手に取った理由のひとつはその点にあったわけだが、“感涙度”という面から言えば、『椿山課長』が上か。それと、『椿山課長』にあった遊び心に乏しく、生真面目なほどシリアスで切ない物語になっている。
中扉には「すべての地下鉄通勤者に捧ぐ」とある。わたしも対象者となるわけか。主人公は東京の地下鉄でもっとも古い銀座線の神田駅に広がる「地下鉄ストア」のなかにオフィスのある営業マン。営業に出かけるときに一日乗車券を買い求め、いかに効率よく目的地に着くことができるか、地下鉄路線図が頭のなかにインプットされている。
主人公の父は自らの手腕で成り上がった事業家で、いまや世界的に有名な服飾会社の社長の地位にあるが、この手の人物にありがちな傲慢さゆえ、かつて主人公の兄を自殺に追い込んだ過去がある。次男だった主人公はこれを心の傷として父を恨み家を出、大企業の御曹司とは無縁の生活を送ることになる。会社は三男の弟が継ごうとしている。
物語は主人公や彼の同僚である腕利きのデザイナーである不倫相手が、敗戦直後、戦中、戦前とタイムスリップして若い頃の父の姿や家族のあり方を「発見」してゆくというSF仕立てのものとなっている。彼らが過去に遡るときのタイムトンネルの役割を果たしているが、「地下鉄メトロ」の出入口なのである。
言われてみると、たとえ地下鉄の車輌が新しく乗り心地のいいものに変わったとしても、出入口や構内の様子は比較的大きな変化はこうむらない。とりわけ銀座線などはいまだ開業当時のレトロな意匠を残す出入口があるくらいだから、過去を知る人ほど、何かの拍子に一瞬昔に戻ったような感覚に陥ることがあるのかもしれない。主人公のオフィスが神田駅地下に広がる「地下鉄ストア」に設定されているというのも、すこぶる巧みな選択だと言えよう。

ステンレス製の新型車両に入れかわっても、この古い地下鉄の中に漂う都市の哀愁は変わらない。まるで七十年前の風や、人々の呼気が今も澱んでいるようだ。(174頁)
主人公は彼女とともに地下鉄の出入口から過去に足を踏み入れた結果、父の秘密、お互いの出生の秘密を知る。タイムスリップを利用して兄の自殺を阻止しようと努力もする。その果てに待っていた悲しい結末。クライマックスの場面はやはり泣けてきた。『椿山課長』を読んで「小説を読む愉しさを存分に味わわせてくれる長篇」と感想をもったが、この作品もまったく同じ、読んでいて、小説という表現方法が秘めた無限の可能性に思いを馳せる。
映画のキャストは堤真一岡本綾常盤貴子大沢たかおとある。主人公が堤真一で、彼女が岡本綾だとすれば、常盤貴子はあの役で、大沢たかおは堤の兄の役なのかもしれない。うーん、この映画も『椿山課長』とともに注目である。
人生の何割かを東京の地下で暮らしてきたのは、何も自分ひとりではあるまい。行き交う人々はみな、人生の何分の一かに相当する時間を、地下鉄の中で過ごしているのだ。夏は涼しく、冬は暖かい、網の目のように張りめぐらされたこの涯もない空間の中で、誰もが重苦しい愛憎を胸に抱えながら。(247頁)