久しぶりの狂言

蚊相撲
大名:茂山良暢/太郎冠者:大蔵基誠/蚊の精:大蔵教義
「月見座頭」
座頭:茂山忠三郎/上京の男:茂山良暢

滅多に観る機会がないのだけれど、機会があるにしても身銭を切るわけでなく、知人からチケットを頂戴してばかり。積極的に打って出たいものだ。
能楽堂はこれまで千駄ヶ谷国立能楽堂、松濤の観世能楽堂、目黒(上大崎)の喜多六平太能楽堂に行ったことがある。このほか、職場から神保町に歩いて出るときによく下る、忠弥坂の急坂のふもとに宝生能楽堂があることは知っている。それだけでなく、渋谷駅の南西にそびえ立つ東急セルリアンタワーの地下にまで能楽堂があるなんて、ぜんぜん知らなんだ。東京という都市は奥が深いものよと感心する。高層シティホテルの地下にある能楽堂、なんてみやびでハイソな空間なのだろう。紳士淑女が集っている雰囲気にどぎまぎする。
出し物の狂言はふたつ。『日本国語大辞典 第二版』に説明があるあらすじが拍子抜けするほど簡潔なので、それを紹介する。「蚊相撲」は以下のとおり。

狂言。各流。大名が太郎冠者の連れて来た新参の家来と相撲をとり、鼻を刺されて気を失うが、蚊の精とわかってうちわであおぎ、相手がふらふらするのを楽しむ。
これは、大名と蚊の精がいざ相撲をとろうと組んだとき、蚊の精がストローのようなくちばしをくわえ、「プゥーン」と言いながら大名の顔にとりついた瞬間、大名がふらふらと気を失う様子を無邪気に笑うのが愉しみ方なのだろうか。
もうひとつの「月見座頭」。
狂言大蔵流。中秋名月の夜、座頭と通りがかりの男とが虫の音を聞き酒をくみかわし楽しんで別れる。ところが急に男に残酷な心が生じ、ひき返して別人を装い座頭を突き倒して去る。
これだけ読むと、人なつこさと残酷性という人間の二つの顔を見せるというドラマのようだが、果たしてそのように解釈すべきなのだろうか。座頭と男が仲良く酒を呑んで唄って名月を楽しんだあと、それぞれ自分は下京へ、自分は上京へ帰ると言って別れる。その後上京へ帰ると言った男は気が変わり、座頭が盲目なのをいいことに、別人になりすまして座頭を打擲し、まるでストレスを解消したかのように去ってゆくのである。これはあるいは京都における上京衆と下京衆の仲が悪かったことを表現しているのかもしれない。などとしたり顔に解釈しているが、「そんなの当たり前だろ」と言う声がどこからか聞こえてくる。