母は強し?

「女ひとり大地を行く」(1953年、北海道炭労・キヌタプロ)
監督亀井文夫/脚本新藤兼人・千明茂雄/山田五十鈴宇野重吉織本順吉内藤武敏/沼崎勲/岸旗江北林谷栄加藤嘉木村功

世界恐慌のあおりを受けた不況で、借金にあえぎ、人身売買同然に出稼ぎに出ざるをえなくなった東北地方に住む一家の主人が宇野重吉。駅名が「横出」となっていたが、隣駅が「ごさんねん」(後三年)・「やなぎだ」(柳田)だったから、横手であることは明らか。いきなり宇野重吉一家がなじみのある横手に住んでいたという設定を知った時点で、居ずまいを正して観始める。
映画は、残された妻山田五十鈴と幼い男の子二人の苦悩の人生を描く。山田は子供を抱えて夫の働く北海道の炭坑に移ったものの、夫が坑内のガス爆発事故で死んだことを知らされる。それから山田自身が炭坑で働くことになる。
炭坑という重労働の現場で働きながら女手一つで子供を育ててゆく山田の戦中・戦後が描かれる。戦中における人権無視の強圧的で過酷な労働の実態や、戦後の組合運動の激化によるストライキと、経営者側と労働者側の対立という、左翼的な思想が一貫して流れている。作られたのは1953年だから、こうした民主化運動の高まりというのは、歴史ではなく現実問題であったのだろう。肌で知らないし、これまであまり興味を持ってこようとしなかったから、この映画で描かれた組合運動の実態がいまひとつ理解できない。
死んだと思われていた宇野重吉が実は生きており、戦後妻らが働く炭坑に戻ってきていて、妻が死ぬ直前に再会できたというシーン以上に、この映画で感動的だった場面がある。戦中中国から連行され、炭坑で強制労働させられていた中国人を加藤嘉が演じていた。脚気で足を痛め、仕事が捗らない加藤を、役人は容赦なく打擲する。
それを止めに入ったのが、山田の家族と懇意にしていた沼崎勲だった。その沼崎も召集され戦死してしまう。敗戦後加藤を先頭に、徴用されていた中国人集団が大勢で山田の家に押しかける。おびえる山田に、加藤は、帰国する前に、打擲されたとき助けてくれた沼崎にひと言お礼を言いたいと伝える。沼崎の戦死を知った加藤はじめ一堂は、黙って沼崎の遺影に黙祷をささげる。帰るときに次男の頭をなでながら、平和のために働いてくれと言い残して去ってゆく加藤らの集団。敗戦で立場が逆転したにもかかわらず、それまでの強制労働に対する復讐をするのではなく、恩義ある日本人に礼を尽くそうとする姿に感動した。
川本三郎さんの『続・映画の昭和雑貨店』*1小学館)に掲載されているこの映画のスチール写真(「労働歌」項)は、映画のタイトルどおり、山田五十鈴が両腕を腰に添えて大地の上にすっくと立っているもので、「母は強し」を思わせるものだった。映画を観る前は、女手一つで気丈に子供を育て、男勝りに炭坑で働く強い女性が主人公というイメージを持っていたのだけれど、実際はそうではなく、運命の波に翻弄され、疲れ果て最後はボロボロになって死んでゆく悲劇の母親が主人公だったのである。
次男役の内藤武敏さん、若い頃の姿をじっくり見ていたら、「ああ、いまでもよく刑事役などでドラマに出てくる人だ」ということに気づいた。いまの姿とようやく一致したのである。

女ひとり大地を行く [DVD]

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