志村喬を信じてよかった

「男ありて」(1955年、東宝
監督丸山誠治/脚本菊島隆三志村喬/夏川静江/岡田茉莉子藤木悠三船敏郎加東大介

仕事のことしか頭になく、家庭をかえりみない頑固一徹プロ野球チーム監督志村喬が主人公。トイレで作戦を考えるため息子が我慢できなくなり、見かねた母(夏川静江)はお隣の奥さんに声をかけご不浄を使わせてもらうことに。
妻の話にもうわの空で、学校の面談にも出られない。代わりに長女の岡田茉莉子(かわいい!)が出る羽目に。母夏川静江は家事に精一杯で、身支度をととのえる時間がとれないというのがその理由。弟は姉とはずいぶん歳が離れており、父から「恥かきっ子」(年をとってからできた子供)と呼ばれ、気にしている。父はそんなことも知らずに「恥かきっ子は出来が悪い」と散々の言い様だ。仕事にかかりっきりで妻の話を聞いてくれないなんて、現代では熟年離婚の原因になるのだろうな。
ところがそんな家庭にも変化がおとずれる。志村が試合で審判を平手打ちするという暴行を働き、一ヶ月の出場停止処分になってしまうのだ。仕事人間だった志村は手持ちぶさたで、塀のペンキを塗り替えたり、庭の花を植えかえたり、家の仕事をあれこれ請け負う。取材に訪れた記者(加東大介―彼はこのシーンだけの出演なのだから贅沢)に妻は「おかげで家が綺麗になった」と話す。
この間志村は飼い犬を連れて近くの公園の原っぱに大の字になっている。電気屋からラジオを借り、自分のチームの試合実況を聴いているのである。志村の家は駒場にあるとおぼしく、近くに井の頭線が走り、最寄駅はたぶん駒場(東大前)駅。志村が寝そべる公園は、遠くに東大の時計台が見えるから、井の頭線を挟んで東大駒場キャンパスの南にある駒場野公園だろうと思う。
駒場野公園は一度しか訪れたことがないけれど、寝そべる志村を撮すアングルの先に映る風景が「ケルネル田圃」付近を思わせるのである。駒場野公園は駒場農学校(東京教育大学農学部の前身)があったところで、明治のお雇い外国人であるドイツの農学者ケルネルがここに実験田圃を造ったのである。木々が生い茂っている現在の公園風景とは違い、映画では見晴らしのいい一面の原っぱである。
「銀幕の東京」の一本としてこの映画が上映される意義は、これら駒場付近の田園風景、井の頭線の沿線風景にあるということになろうか。ただそれを離れてもこの映画は十分楽しめる。
なんと言ってもストーリーが正統的だ。笑わせるところで笑わせ、これから泣かせるぞと雰囲気を徐々に盛り上げて、ちゃんと泣かせ所で泣かせる。くるぞくるぞとわかっていながら、制作者側の意図したところで涙が出た。こういう外さないところがいい。
出場停止が解ける最後の日に志村は夏川と夫婦水入らずで過ごす。東京宝塚劇場で「少女歌劇」を見て、二人でお好み焼き屋で食事する。停止が解除され九州に遠征に行った日、あわれ夏川は倒れ、この世の人ではなくなってしまうのだ。そこからの志村が絶妙。涙を流さず、事務的に葬儀をすませようとしたり(読経しているお坊さんに「かいつまんで」などと注文を出す!)、喪が明けないうちに試合復帰しようとして岡田茉莉子から激しく非難される。
いや、そうじゃないんだ。きっと志村は妻の死を悲しんでいるに違いない。その証拠に眼はうつろで、遠くを見ている感じではないか。涙を流さず、妻の急死でもなお野球のことを忘れないとしても、絶対心の奥底では悲しんでいるのだ、と強く信じていてよかった。だからクライマックスに泣かされるのだ。映画館でもすすり泣く声があちこちから聞こえる。
ところでこの映画を「野球映画」という視点で観ると、なかなか型破りで面白い。新人投手の藤木悠(若くて細い好青年、サウスポー)をピンチランナーで使う(藤木はサインを無視してホームスチールを成功させ、試合後逆に志村から殴られる)。まあこれは現在でも、野手を使い切って投手がピンチランナーになることがあるからいい。驚くべきは、監督志村が捕手の負傷退場を受けて自らマスクをかぶること。51歳、選手登録されていないのではあるまいか。プレーイングマネージャーとは違うはずだ。また、志村が審判を殴打したとき、新聞のカメラマンがグランドに入ってきて乱闘場面の間近でフラッシュをたき写真を撮影する。これもいまでは考えられない。昔はありえたのかなあ。
もし川本三郎さんが、企画立案のさいこの映画を推したことで今回上映リストに入ったのであれば、「銀幕の東京」の背後に別の意図があるように邪推してしまう。というのもこの映画は、『銀幕の東京』的である以上に、『映画の昭和雑貨店』的であるからだ。なんとシリーズ5冊すべてに登場し、計12回。かなり登場頻度が多いほうだと思う。川本さんはよほどこの映画が好きなのだろうな、そう思わされる。以下そのリスト。

  • 『映画の昭和雑貨店』ISBN:4093430314
    • 「パチンコ」:志村喬が家族と喧嘩したあとパチンコ屋で家族のための景品をもらう。
    • 「お弁当」:試合に出かけるとき、志村喬は弁当持参。
  • 『続・映画の昭和雑貨店』ISBN:4093430322
    • 「そろばん」:そろばんではないが、「計算尺」で勝率などを計算する志村監督。
    • 「ビール」:志村と三船、志村と夏川が酌みかわすビールのうまそうなこと。
  • 『続々・映画の昭和雑貨店』ISBN:4093430330
    • 「二階借り」:新人投手藤木悠が監督宅の二階を間借りする。
    • 「映画」:藤木悠岡田茉莉子が「花嫁の父」を観に行く。
    • 「原っぱ」:志村喬が寝そべる。
    • 「冬の風物詩」:三船敏郎がコートを着たままビールを飲む。このシーンを観たとき、たしかにわたしも違和感をおぼえた。
  • 『続々々・映画の昭和雑貨店』ISBN:4093430349
    • 「縁側」:新聞記者加東大介は縁側に座って夏川の話を聞く。
    • 「消えた名所」:志村がマスクをかぶって勝利するのはナゴヤ球場だという。
  • 『映画の昭和雑貨店 完結編』ISBN:4093430357
    • 「外食の楽しみ」:志村・夏川夫婦がお好み焼き屋で差し向かい。
    • 「〝汲み取り〟から〝水洗〟へ」:志村の息子が隣の「ご不浄」を借りる。

ちなみに快楽亭ブラックさんも、“日本映画専門チャンネル”サイト内のコラムのなかでこの映画を高く評価し、「あっしの生涯のベスト10のうちの1本だ。」とまで書いている。