脈が抜けたって

「石中先生行状記」(1950年、新東宝
監督成瀬巳喜男/原作石坂洋次郎/美術中古智/宮田重雄渡辺篤/堀雄二/進藤英太郎/木匠久美子/藤原釜足/出雲八重子/杉葉子池部良三船敏郎飯田蝶子/若山セツ子/中北千枝子/柳谷寛

脈がばすばすと抜けてすこぶる不快な一日だった。最近また脈が抜けることが一日に何度となく襲ってくる日が続き、憂鬱な日々を過ごしている。数年前専門病院でいろいろな検査を受けたけれども何の異常もなく、毎年の定期健康診断での心電図検査などでも異常が見られないから、たぶんストレス性、自律神経系の症状なのだろう。
とはいえ、規則的に運動しつづけることで人間の生を支えているところの心臓の動きが不規則になるというのは、その果てに死が見えることゆえ、たとえストレス性で心配するなと言われても不安なのである。仕事柄もあり、憂鬱な気分が内に内に向かい、どうにもやりきれなくなってくる。
それが家路につくと少し収まるから不思議なもので、やはりこれは「仕事イヤイヤ病」なのだろうか。いや仕事自体は厭ではないので、「職場イヤイヤ病」なのか。
さいわいなことに、たまたま抱えている仕事について、雲の切れ間からお日さまがのぞいたように、一つの仕事と次の仕事の間にぽっかりと時間があき、久々にゆっくりとした夜を迎えられた。こういうときは気分がサッパリする映画を観たい。
でも仕事のしがらみはどうにもぬぐい去れないようで、いやわたしはよほど横手という町が気に入ってしまったのだろう、横手と言えば石坂洋次郎石坂洋次郎原作の映画で何か…と探したすえ、成瀬巳喜男監督の「石中先生行状記」が未見であることに気づいた。映画は石坂が教師として長い時間を暮した横手の町でなく、生まれ育った弘前が舞台であるが、まあそんなことはどうでもいい。以前id:higonosukeさんから成瀬映画のベストであるというお話をうかがいながら、なかなか観る機会を得なかった作品、この機会に観ようではないかと、通販で取り寄せた横手の地酒を手酌しながらDVDをセットした。
この映画はそれぞれ30分弱の短篇三本からなるオムニバス形式の内容で、地元の名士で人望の厚い石中先生を中心に、土地の人々が巻き起こすおもしろおかしいエピソードで成り立っている。石中先生は画家の宮田重雄が演じているが、スタッフロールに「特別出演」とあるように、主人公であるようなないような、とりわけ第二話・第三話の出演場面は多くない。
面白いのが第二話「仲たがいの巻」と第三話「干草ぐるまの巻」だ。町の芝居小屋にかかった「裸芝居」を見にでかけた古本屋の主人藤原釜足とその友人の中村是好。この二人の掛け合いがなんともおかしい。中村是好の口跡はなんとも独特で、あとあとまで変らないのだなあ。
その二人を見咎め、どちらが誘ったのかで諍いを起こして「仲たがい」をしてしまう子供同士。親の喧嘩に子供が割って入るという逆の展開で、もともと恋仲だった杉葉子藤原釜足の娘)と池部良中村是好の息子)の間に亀裂が入る。
第三話では、姉(中北千枝子)の入院する病院に見舞いに訪れた妹(若山セツ子)が主人公。帰り道茶店で休んでいた時、干草を運ぶ馬車を間違え、居眠りをして起きたときにはまったく知らない家に着いていた。馬車を引いていたのが、野卑で木訥で寡黙な三船敏郎。笑い声が大きいと三船の弟から言われるほどケラケラと快活に笑う若山と三船の対比が抜群。
もう遅いので家に泊まって行きなさいと、三船の母親(飯田蝶子)に勧められ、若山は三船の家に泊まることになる。そのさいの夕食のシークエンスが秀逸。ケラケラと笑い転げるそばで、様子をうかがいながらも黙々とご飯を食べる三船。このシーンには思わず膝をたたいて笑い転げてしまった。「妻の心」といい、成瀬監督は三船敏郎という俳優の使い方が絶妙にうまい。
タクアンをカリコリといい音を立てて食べ、白いご飯を掻き込む若山の姿を見て、思わずご飯を食べたくなる。もし川本三郎さんの「映画の昭和雑貨店」シリーズに「タクアン」の項目があれば、このシーンは真っ先にあげられるべきものとなるだろう。
その川本さんの『映画の昭和雑貨店』*1小学館)の「下駄」項には、若山セツ子について、このように書いてある。

この映画の若山セツ子は本当にういういしく愛らしい。健康的で明るく、いわば「戦後民主主義の化身」である。日本映画の女優の人気ベストテンをすると彼女が、年配の選者たちから大女優に匹敵する支持を得るのもよくわかる。(57頁)
まったくその通りで、この映画を観て、明るい若山セツ子に惹かれてしまった。アプレゲールとも違う、また別の戦後女性像がここにある。
酒の酔い心地も手伝って、映画を観終えた頃には、脈が抜けることなどどうでもよくなってしまった。成瀬映画はまったくもって自分の感性と相性がいい。憂鬱なときは成瀬映画を観るべし。そう心に決めた。