言文不一致の人

三文役者あなあきい伝

殿山泰司さんの自伝『三文役者あなあきい伝』は、一昨年の夏、まず講談社文庫版のPART1のみ、山形のブックオフで105円で入手した。その後二冊セットを何度か見かけたあと、その一年後の昨夏、ようやくPART2のみ売られていたのを、これまた山形の古本屋香澄堂書店で見つけたので(400円)、別れていた兄弟が再会したような気分で買い求めたのだった。講談社文庫版は旧カバーになっている(いずれも1980年の第一刷)。重版され現行のカバーデザインによるものがあるのか、わからない。
この間同書がちくま文庫にも入っていることを知ったのだと思う。それまであまり殿山さんの著作に興味を持っていなかったのである。知っていたら講談社文庫版を買わずにいたか。いや、105円だったから知っていても買っただろう。PART1のみ手元にあれば、必然的にPART2も揃えたいと考えるはずだから、結果は変わらなかったに違いない。
読むべきタイミングは、そのPART2を入手したときにあった。しかしそう動かなかったため、揃ったまましばらく積ん読状態になってしまう。
今年に入り、1月に横手に出張に行ったとき、横手のブックオフで同書のちくま文庫版(PART1*1・PART2*2)が並んでいた。その日はあまりほかに買うべき本もなかったので、つい買ってしまった。
今月初旬ふたたび横手出張が予定されていたので、「横手で買ったものは横手で読め」とばかり旅に携えてゆくつもりが、インフルエンザで叶わなかった。結局、病み上がりの電車本として選んだのである。せっかく二年がかりで集めた講談社文庫版の出番がなくなってしまったわけだが、読むタイミングの問題として、よくある話である。
本書が書かれたのは70年代のことで、その当時の先が見えない日本という国の現状に毒づき、また、悲惨だった軍隊生活をふりかえり戦時中の「大日本帝国」に恨み言を綿々と綴る。その筆鋒は過激の一語に尽きるのだが、読んでいてそこに辟易するどころか、逆に爽快感をおぼえてしまう。
殿山さんは東京銀座のおでん屋「お多幸」の子供として生まれた。東京人としては、たとえば「日陰町というのは古着屋の町として有名であった。(…)東京にはまだ神田に柳原という古着屋の町があったな。古着というものが必要な社会だったんだね」(PART1、37頁)などという一節が、さりげないながら貴重な証言だろう。
殿山さんは、東京っ子らしいはにかみの裏に、人なつっこさを感じさせる人だったという。ちくま文庫版PART2にある長部日出雄さんの解説には、過激という仮面をかぶった殿山作品の裏話が書きとめられ、作者に対する思い入れが強くなった。
「すこぶる威勢のいい調子」で書くから、書くスピードもさぞ速いと思いきや、「じっさいは、まず数十本の鉛筆を丁寧に削り、芯を針のように尖らせ、一字一字まことに丹念に書いて行く」というロケ先で同宿した佐藤慶の目撃譚が紹介されている。

編集者の話でも、殿山さんのほど綺麗な原稿はありません、という文字で、
「バカヤロ!! 死にさらせぇッ!!」
などと書いていたのである。(271頁)
この書いている内容と、それを書く作者殿山泰司のたたずまいのギャップが、いかにも東京っ子らしい含羞に満ちたもので、ひととおり読み終えたあとこの解説を読むと、またもう一度引き返して再読したくなってしまう。
「三文役者」生活に入ってからの、映画界で暮らしたあれこれの話が無類に面白い。一緒に仕事をした監督でいえば、吉村公三郎川島雄三新藤兼人吉村公三郎監督作品といえば、「安城家の舞踏会」だろう。以前三百人劇場でこの作品を初めて観たときは、退屈な印象をまぬがれなかった。ところがその後この作品をいいと褒める書友の声を聞き、また本書でも触れられているのを読んで、あらためて観ようかという気持ちになった。折良く衛星劇場で放映されたので、DVDに録画した。
川島雄三監督について、殿山さんは愛惜のこもった思い出話を綴っている。初期の松竹時代の川島作品によく出演したということで、印象深い作品として「追跡者」(佐野周二主演)があげられている。これも折良く衛星劇場の今月のラインナップに入っている。初旬に放映されたときはインフルエンザで伏せっていたため見逃し(録り逃し)てしまった。月末必ず録らねば。
その他吉村監督の「足摺岬」で薬売りを演じたさい、高知ロケでの話など、「足摺岬」を面白く観たから(→2005/9/9条)興味深かったが、なにより観たいと思ったのが、新藤兼人監督の「狼」だった。殿山さんは「おれが新藤作品の中で一番好きな映画」とし、その理由について次のように書いている。
そのテーマの社会性もだけど、そのスリリングといい、いかにも活動写真らしい映画であった。活動写真と映画は同じか。どう言ったら分ってもらえるかな。見ていて快調なんだよな。快調と映画と関係あるか。おれは深い関係にあると思うがね。コツンコツンとつかえるような映画は、気持よう見てられへんでえ。(PART2、146頁)
実はこの映画もこの間CSで放映されたのである。ちくま文庫版を買ったとき、横手のホテルでパラパラめくっていたらこのくだりが目に入った。「狼」というタイトルはたしかCSの番組表で記憶にあって、これもその後めでたくDVDに録画したのだった。
このあいだ観て、殿山さんによる「一本槍元首相」が印象深かった小林旭の「銀座の次郎長」シリーズ第二作「でかんしょ風来坊」には触れられていない。数え切れない出演作があるだろうから、そうした経験に埋もれてしまっているのだろう。「追跡者」といい「狼」といい、その他黒澤明監督の「酔いどれ天使」の思い出話もあって、これもハードディスクに録ってある。このところ録るだけ録ってほとんど観ることができない状況にあるのだけれど、少し余裕が出たら、本書の筆致を思い出しながら出演作を観ることを楽しみにしようではないか。