評伝作家の粋

酒場の藝人たち

矢野誠一さんの文庫新刊『酒場の藝人たち―林家正蔵の告白』*1(文春文庫)の刊行を知ったとき、聞いたことのない書名なので、どういう内容なのか興味津々だった。矢野さんの本は青蛙房など、普通の書店ではあまりお目にかかれない版元から出されることが多いから、いままで出されたことすら知らない本が文庫に入るのだろうとワクワクしていたのである。
発売されてすぐ購い、書誌を確認したところ、青蛙房青蛙房でも元版は『圓生とパンダが死んだ日』であることを知って「なあんだ」といささか拍子抜けした。とはいえ既所持・既読ではないから不遜もはなはだしい。古本屋でこの本を何度か目にして、手に取ることまではしたものの、購入までには至らなかった本なのである。
圓生とパンダが死んだ日』から『酒場の藝人たち―林家正蔵の告白』とがらりと書名を変えると、けっこう印象も違うものである。あとのほうが買う気をそそられる。
書名変更の理由について、「文庫版あとがき」では「如何にも薹の立った感をまぬがれ」なかったゆえとする。三遊亭圓生の追悼文として書かれたタイトルから、あえてその圓生と仲が悪かったという林家正蔵*2の追悼文として書かれた文章のタイトルを副題にもってきて看板を掛け替えるなんて、意味ありげに思えてしまう。
本書は交友録に類する文章ばかりを集めたエッセイ集で、後半には前述のように三遊亭圓生やら林家正蔵やら、春風亭柳朝林家三平ら落語家をはじめ、戸板康二、内村直也、時雨音羽中村翫右衛門、文野朋子、白井隆二、大河内豪、色川武大太地喜和子いずみたくといった先輩知己の追悼文がずらりと並び、そのいずれもが、故人の名前をこの追悼文で初めて知ったわたしのような人間にとっても、故人の俤と書き手との交友を彷彿とさせる名文ばかり。文庫版解説の常盤新平さんが「可笑しくて、哀しい」と追悼文を賞賛するのに異論はまったくない。
矢野さんがすぐれた評伝作家であることはいまさら言うまでもないが、本書のなかでも追悼文にこと寄せたポルトレが実に素晴らしく、あらためて評伝作家としての矢野誠一の存在をありがたく感じた。自らとの交友という私的なエピソードを交えつつ、しかし対象にべったりと張りつかず、実に見事な距離感覚で人物の全体像を描きあげる手業は見事というほかなく、神吉拓郎柳家小三治とゴルフをした日を書いた「スコア御国を何百里……」や、脇役俳優嵯峨善兵のダンディズムを描ききった「花の悪役」など、その人の身の丈が数頁の文章に収まるのを読み、あたかも一冊の評伝を読み切ったような充実感をおぼえてしまう。
副題に「昇進」した「林家正蔵の告白」でも、挿話(ゴシップ)をちりばめることを通して林家正蔵という落語家の個性が浮かび上がる。住んでいた長屋のある稲荷町から寄席には定期券を使って通っていながら、仕事以外の私用で地下鉄に乗るときには定期は絶対に使わず、わざわざ切符を買ったという話にほだされる。「定期券とは、仕事をするひとのために割引になっているので、遊びに行くときにまで使うものじゃない」という論理なのである。
またせっかちだから新幹線に乗るときは一時間も早くホームに立って待っている。弟子が注意すると、「いや、ひょっとして早く出るかもしれねェ。遅れることがあるんだから、間違って早く出たっていいじゃねえか」という論理の妙に笑わされる。
わたしは子供の頃、弟子の林家木久蔵による物真似で「林家彦六」という老落語家の存在を知り、あとで本物が「笑点」に出演したのを見て、「物真似そっくり」と感心した程度の思い出しかない(先代)林家正蔵なのだが*3、この文章を読んですっかり好きになってしまった。

*1:ISBN:4167460122

*2:正蔵の弟子照藏(のちの春風亭柳朝)が「宿屋の仇討」を演ったとき、圓生が「失礼ながら、おッ師匠さんのより、ずっとようがす」と激賞して、正蔵を激怒させたというエピソードが、本書収録の柳朝の追悼文「さらば柳朝」に紹介されている。

*3:いま、以前江戸東京博物館で「落語展」があったとき、正蔵がたしか「五人廻し」を演じているビデオを観たことを思い出した。