英国大使館側壁観察の歴史

「限りなき鋪道」(1934年、松竹蒲田)
監督成瀬巳喜男/原作北村小松/忍節子/磯野秋雄/山内光/若葉信子/葛城文子/日守新一/香取千代子

成瀬巳喜男はP.C.L(のちの東宝)に移籍して、初のトーキー作品「乙女ごゝろ三人姉妹」を作った。つまりそれまで在籍していた松竹蒲田撮影所で作った作品は、すべてサイレントなのである。
今回衛星劇場で、現存する成瀬監督のサイレント作品5本を放映するというありがたい企画があったので、先の日本映画専門チャンネルでの成瀬特集と同じく、すべてDVDに保存した。生誕100年にあたる今年の掉尾を飾る素敵な企画である。
まずは今回、そのうちのもっとも最後の作品、成瀬にとっても松竹での最後の作品、くどいが、つまりサイレント最後の作品となる「限りなき鋪道」を観た。書物に収載されているフィルモグラフィなどでは、「鋪道」が「舗道」となっているが、映画のタイトルを観ると「鋪道」が正しい。いずれにせよ「ほどう」と読ませるのだろう。あるいは「しきみち」と読ませる可能性もあるが、原作がどうなっているのか、わからない。
愛し合っていた男女がふとしたきっかけで別れてしまう。カフェーの女給をやっていた女性(忍節子)のほうが、その別れるきっかけとなった自動車事故で、彼女を車ではねた資産家との男と相思相愛となり、ゴールイン、しかし封建的な「家」の陋習にしばられた姑・小姑との確執によって夫婦の仲が裂かれてしまうという物語。
筋はともかくとして、びっくりしたのは、タイトルが出る前とエンドマークが出る直前の最後の何秒間かで、都市東京の町並みやモダンな洋館などの映像をポンポンと連続的に映していることだった。舞台となる銀座の町並みはもちろん興味深いのだけれど、「おっ」と興奮したのは、番町、半蔵門前にある英国大使館の側壁の映像がほんの一瞬だけ登場することだった。
このアングルからの写真には見覚えというレベルをはるかに超えて、親しみすらある。以前『BOOKISH』6号*1における戸板康二特集に寄稿させていただいた「五〇年後の「芝居名所一幕見」」のなかで、戸板さんの著書『芝居名所一幕見―舞台の上の東京』に掲載されていた英国大使館の一葉の光景が、並木などの成長を別にすればほとんど変わっていないことに感激し、著書に掲載されている1953年当時の写真とわたし自身が撮影した2003年時点での写真を並べて載せた、まさにそれと同じアングルで映画にも登場していたからだ(左が1953年、右が2003年の写真)。

 

つまり成瀬監督も、ロケハンをしたうえで、あの英国大使館側壁を映したポイントに(たぶん)立ったはずで、成瀬巳喜男戸板康二とつながる“英国大使館側壁観察の歴史”の末端に自分が連なることができたことを、しずかに喜んだ。戦前におけるあの場所の映像が観られただけでも、この映画を観る価値はあったと言える。
成瀬―戸板の間は20年弱の時間が流れていたわけだが、戸板―わたしの50年の時間によりこうむった変化ほど、変化は起こっていないような気がした。英国大使館があるのだからあのあたりは戦災を受けていないのだろう、変化があるというよりむしろ、映画と戸板さんの本では、ほとんど景色は変わっていないのではあるまいか。