日守新一の沈黙

「生きる」(1952年、東宝
監督黒澤明/脚本黒澤明橋本忍小国英雄志村喬日守新一田中春男藤原釜足中村伸郎千秋実左卜全金子信雄/関京子/渡辺篤清水将夫木村功伊藤雄之助小田切みき/小堀誠/浦辺粂子/三好栄子/菅井きん丹阿弥谷津子市村俊幸南美江宮口精二加東大介

あまりにも有名なためかえって観ていない映画がある。わたしにとっては黒澤映画全般がそうで*1、この「生きる」は初めて観た。
ストーリーはだいたいわかっている。役人の志村喬が胃癌で亡くなる直前に公園設置に奔走する。そして最後にその公園のブランコに乗り「命短し 恋せよ乙女」を唄うシーン。
ところがこうした有名すぎる映画ほど、「へえ、こんな映画だったんだ」と驚かされることもある。「生きる」もそうだった。
市民課長の志村喬が病院で軽い胃潰瘍だと言われるものの、実は余命半年の胃癌だった。志村本人には告知されないが、待合室で渡辺篤から「軽い胃潰瘍だと言われたら、ほとんど胃癌だと考えてよい」と散々たたき込まれていたから、医師の清水将夫から「軽い胃潰瘍ですね」と言われた志村は愕然とする。笑う話ではないのだが、つい笑ってしまう。
死期を悟った志村は酒場で会った小説家伊藤雄之助に連れられ夜の町をさまよったり、小田切みきに入れあげたりして、息子の金子信雄らに愛想を尽かされる。
そしていよいよ、何か物を作ろうと志し、公園設置に動き出そうとしたところで、画面には突然志村の遺影が映される。通夜になっているのである。「仕事をしないことが役所」という精神の典型的タイプである志村が、なぜ懸命に公園設置に動いたのか、上司・同僚や部下たちの間でさかんに思い出話が交わされる。公園設置実現までは、この思い出話、挿話のつなぎ合わせでわかるしくみになっているのである。なるほどなあ。
一貫して公園設置に消極的だった助役の中村伸郎は、いざできあがって市民の評判がいいとみるや、志村の功績を自分のものにしようと企む。定規をあてたようにまっすぐ七三分けの髪型である中村伸郎のいやらしさ。
助役室に出入りし、志村が助役室を訪れたときに「余計なことに首を突っ込むな」とすごむヤクザに加東大介。さらに部屋から出てきた親分が宮口精二。宮口は志村を睨みつけるだけの芝居でこの映画はおしまい。台詞すらないのだが、その表情だけで存在感は十分。
結局役所の仕事に活を入れた志村の功績を通夜の参列者の大半が褒めたたえ、次期市民課長と目されている藤原釜足を中心に、志村の遺志を継ごうと気炎を上げる。最初から志村の肩を持ち、助役の動きに懐疑的だった同僚の日守新一はこの輪に加わらず、あらためて遺影の前に座って彼の死を悼んでいる。
次にシーンが変わると、課長席に座った藤原釜足が、志村と同じようにつまらなそうに書類に判を押している。同僚は同僚で、窓口に陳情に来た市民に対し、「この件は○○課に」と前と同じくたらい回しをしようとする。日守はこのありさまに憤然と立ち上がるが、課長はじめ課員に睨みつけられ、文句を口に出せないまま(出さないまま)、席についてしまうのだった。
ラストは日守が志村の作った公園を、橋の上から眺める場面で終わる。いつの時代も役所の仕事、役所の精神は変わらない。これに不満を持つ内部の人間がいても、結局口に出せないまま終わってしまう。日守新一の釈然としない顔がすべてを象徴しているのだった。
生きる [DVD]

*1:もっとも公開時観に行くという奇特な経験もある。「影武者」と「まあだだよ」の二本がそれ。