大坂志郎は二度死ぬ

「硝子のジョニー 野獣のように見えて」(1962年、日活)
監督蔵原惟繕宍戸錠芦川いづみアイ・ジョージ南田洋子桂木洋子/平田大三郎

最近なぜか日活映画をよく観るようになった気がする。成瀬・豊田・木下・黒澤といった「巨匠」の映画はDVDに保存するからあとで観ればいいやとなるいっぽう、保存するには及ばない、けれど観ておきたいという映画が大映や日活に多い。また、芦川いづみ出演映画を観たいとなると、当然日活映画となる。まあそんな事情だろうか。
この映画は、うーむ、へんてこりんな作品だった。北海道稚内の昆布漁師の家の娘芦川は、家の事情で娼婦として売られてしまう。アイ・ジョージが女衒。冒頭いきなりアイ・ジョージは芦川の家のある海岸にトラックで乗りつけ、いきなりパンツ一丁(そのパンツが白ブリーフ)で海に入って体操をし始める。不可解なり。
アイ・ジョージという人は名前だけ聞いたことがあるが、本田博太郎(古い?)とTOKIO城島茂を足して二で割ったような雰囲気。そんな精悍なマスクと裏腹に、きわめて渋い低音で唄うので驚く。
芦川は白痴の女という設定。アイ・ジョージのもとから逃げ出し、自分を救ってくれる「ジョニー」という男がいることを子供の頃から夢見ている。函館まで逃げる途中、汽車のなかで車掌に無賃乗車を問いただされそうになったとき競輪場で予想屋をしている宍戸錠から助けられ、彼を「ジョニー」と思い込んで、函館でも宍戸を追い回す。
宍戸も最初は芦川を避けていたものの、次第にその純粋な心に惹かれ…という流れ。アイ・ジョージも芦川を捜し回ってようやく函館で彼女を発見、宍戸に一度捨てられた彼女をとうとう捕まえ、連れ帰ろうとしたとき、彼を恨みに思っていた男から刺されて重傷を負ってしまう。芦川は逃げるチャンスだったのに、逆にアイ・ジョージに付きっきりでずっと彼のベッドの傍らに居続ける。アイ・ジョージまで彼女に愛情を持ちはじめるのである。
南田洋子は、腕の良い元板前だった宍戸に未練を持つ競輪場脇の飲み屋の若女将。桂木洋子はさらに脇役で、昔アイ・ジョージを捨てて逃げた妻。
まあストーリーはともかく、可憐なお嬢様役が似合う芦川が、こんな汚れ役を演じたのがショッキングで、でもそれが妙にはまっていて、上目づかいで宍戸錠を見つめるシーンなどにドキドキしてしまうのだった。
それにしても観客の多いこと。前回観た「あした晴れるか」と同じくらい、補助椅子と通路の座り見が出るほどの大盛況。「あした晴れるか」はおばさま方が多かったので裕次郎人気だと思っていたが、今回はほとんど女性がいない。年輩のおじさんが大半を占める。これは往年の日活映画人気なのか、いや、芦川いづみファンがわたしの予想以上に多いということなのだろう。

「死の十字路」(1956年、日活)
監督井上梅次/原作江戸川乱歩/脚本渡辺剣次三國連太郎新珠三千代大坂志郎三島耕芦川いづみ

乱歩最晩年の長篇「十字路」は、渡辺剣次が基本的な構想を考え、乱歩が執筆した作品として知られている。これを純粋な乱歩作品と見なすべきかどうか議論はあるところだろうが、昔から全集などに収録され、れっきとした乱歩作品として、その地位は確立されている。現在刊行中の光文社文庫版は、小説合作の耽綺社で筋が考えられ、乱歩が執筆したと言われる「空中紳士」も収録するという初の試みで驚かされた。それからすれば「十字路」は乱歩度が高いと言えるのかもしれない。
その映画化である本作は、これまでテレビやスクリーンで何度か観る機会があったが、ことごとく逃し、ようやく今回観ることができた。この映画について、乱歩自身は次のように書いている。

渡辺君はその後シナリオ・ライターとして幾つかの仕事をしているくらいだから、この「十字路」の立案にも映画的なアイディヤが多く、私が書くときにも、多くの場合、それをそのまま使っているので、全体が映画向きの小説になっていた。はたして、映画会社から申込みがあり、日活ときまって、シナリオ執筆には、全く素人の渡辺剣次君が起用され、渡辺君は大体自分で考えた筋だから、映画化も楽なわけで、うまいシナリオを書き、それが権威あるシナリオ雑誌にものせられたほどである。(「「十字路」について」、河出文庫江戸川乱歩コレクション6 謎と魔法の物語』*1所収)
乱歩の言うとおり、もともと筋を考えた渡辺剣次が脚本を書いたわけだから、小説の面白さ(といってもわたしが読んだのは15年以上も前のことだから忘れかけている)を損なうわけがない。「映画評も従来のミステリものに例のない好評であった。ずっと後に座談会で井上梅次さんに会ったとき、「僕の代表作は『死の十字路』だといわれているのですよ」という話であった」(同前)という。
会社社長の三國が、愛人の新珠三千代のアパートを訪ね関係を詰問した妻山岡久乃を弾みで絞め殺してしまう。殺人の事実を隠すため完全犯罪を目論み、自家用車のトランクに収めてダムに沈めようと車を走らせていたところ、交差点(この場合は十字路と言うべきか)でオカマを掘られてしまう。
慌てた三國はすぐに示談に持ち込み、現場を立ち去ろうとするが、車を離れていたわずかの隙に、ある場所でひどく頭を打ってふらふらと歩いていた画家の大坂志郎がタクシーと間違えて三國の車の後部座席に乗り込んでしまっていた。だいぶ来てから後ろに人がいることを知り、驚く三國。その大坂は打ち所が悪く、車の中で死んでしまう。車の中には二つの死体が…。
完全犯罪が、あるほころびから少しずつボロが出始め、犯人が追いつめられてゆくという倒叙物の王道を行く方法だが、最初からほころびが大きすぎて、ボロが出始め広がってゆくサスペンス味に乏しい。
それをカバーするのが、三國の犯罪を暴こうとする私立探偵の大坂志郎の存在感だろう。大坂志郎が二役を演じているわけだ。画家の兄が突然失踪したことで途方に暮れる妹芦川いづみ(56年というから「陽のあたる坂道」「洲崎パラダイス 赤信号」と同じ年に制作された映画で、芦川はまだあどけない)に声をかけ、行方不明の兄を捜す依頼をとりつける。芦川はその探偵が兄にそっくりなのに驚く。
大坂は元刑事だったが、度を越す取り調べを行ったため辞職せざるを得なかった。遣り手の刑事だったのである。捜索する人物と瓜二つであることをうまく利用しながら、徐々に三國を追いつめてゆくが、証拠物件を突きつけ三國から金をゆすろうとしたため、逆に殺されてしまう。あわれ大坂志郎は二度死ぬのだった。
大坂志郎は先日観た「銀座の沙漠」でも印象深い役を演じていたよなあと思い返す(→11/27条)。わたしが知っている大坂志郎といえば、テレビドラマでの気のいいおじさん役といったところで、こうした小悪党を演じてうまい役者だったとは知らなかった。
川本三郎さんがかつて大坂志郎について書いていたことを思い出し、著書をあれこれひっくりかえしたところ、『映画を見ればわかること』*2キネマ旬報社)のなかに見つけた。「初期日活作品のこと、大坂志郎のことなど」という一文である。
このなかで川本さんは、ラピュタ阿佐ヶ谷での日活特集で初期日活作品をいくつか観てもっとも印象に残った俳優は大坂だとする。主役を演じた「俺は犯人じゃない」を観て、裕次郎登場前の日活では、こんなに大事な俳優だったのかと目を見張った」(292頁)という。その意味では「死の十字路」も同じだろう。
そこから話は、大坂が新宿にかつてあった「秋田」という居酒屋のおかみの長男だったことに及び、石原裕次郎宍戸錠小林旭らが登場する以前の初期日活を「日活フィルム・ノワールと呼ぶべき時代」だったと論じる。そこに「銀座の沙漠」もちらりと言及されていて、DVDに保存しておいてよかったと喜んだ。