当てて書く

午後の遺言状」(1995年、近代映画協会
監督新藤兼人杉村春子乙羽信子/朝霧鏡子/観世栄夫/瀬尾智美/津川雅彦倍賞美津子/永島敏行

たとえば河竹黙阿弥が市川小団次に当てて世話物狂言を書き下ろしたように、特定の役者を念頭において、その人が演じることを前提に脚本を書くというようなことは、たぶん歌舞伎や演劇の世界に限らず、映画の世界でもあるのに違いない。すでに主演俳優ありきで映画制作が決定し、脚本は彼(彼女)に当ててあとからというのでもかまわない。それがピタリとはまったら、その映画は成功したと言うべきだろう。
とすればこの「午後の遺言状」は新藤兼人監督が杉村春子乙羽信子に当てて脚本を書いたものに違いない。この点については、新藤監督に『女の一生』(岩波書店)という杉村さんの評伝があるようなので、関連記述があるのかもしれない。
杉村の役名は森本蓉子といい、現実の杉村春子と同じく大女優という設定。舞台一筋に打ち込んで夫(津川雅彦)をかえりみない(これがあとで大きな意味をもつ)というのも、何となく似ている。「森本」という苗字からして、森本薫をイメージさせて意味深長だ。彼女は毎夏蓼科の別荘に避暑に来ており、そこの管理人が乙羽信子
滞在をはじめてまもなく、杉村の築地小劇場時代(これもまた現実の杉村と履歴が同じ)の仲間である朝霧鏡子が、夫観世栄夫にともなわれ彼女の別荘にやって来る。ところが朝霧は半ば痴呆症となっており、愕然とする。
杉村は、朝霧とかつて二人で演じたチェーホフの「かもめ」の台詞を朗々と唱えたところ、朝霧もそれを憶えているかのように繰り返す。映画の後半では同じくチェーホフの「三人姉妹」の台詞を諳んじる場面があって、これら舞台劇の台詞を喋るときの杉村の口跡が実に見事なのである。「老いたり」という印象で映画を観ていると、その場面での溌剌たる台詞まわしに圧倒させられる。さすが舞台女優。
新藤監督が文学座の大ファンだったという事実を考慮に入れてこの場面を観ると、監督は杉村にこの台詞を言わせたいがために脚本にこの場面を入れたのではないかと思えるほど。
痴呆老女を演じた朝霧鏡子という女優さんは、不明にもまったく知らなかったけれど、調べてみるとこの方はシミキン(清水金一)の妻だったという経歴を持つ女優さんだった。乙羽信子は公開前に亡くなり、杉村は1997年、朝霧は1999年に亡くなっている。乙羽の遺作であり、杉村にとっても最後の出演映画となった。朝霧・観世の老夫婦が哀しくも強烈な印象をもたらす静かな映画だった。
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