そして「稲妻」へ(後編)

「稲妻」(1952年、大映)※三度目
監督成瀬巳喜男/原作林芙美子/脚色田中澄江高峰秀子/三浦光子/浦辺粂子/村田知英子/丸山修/小沢栄太郎/植村謙二郎/中北千枝子/杉丘毬子/根上淳香川京子/滝花久子

前回「稲妻」を再見したとき(→2004/9/3条)「憎たらしさ満点」と書いた小沢栄(栄太郎)がやっぱりいやらしくて、この映画の敵役をすべて肩代わりしているかのようである。小沢のトレードマークであるスクーターの「バババババーッ」という爆音が聞こえてくると、観ているこちらまで不快感をもよおす。小沢栄太郎の役者としての本領発揮というべきだろうか。
先日新田橋を訪れた余徳として感じたことがある。中北の仮寓に談判に訪れた帰り道、三浦・高峰姉妹は「お不動様」に詣でている。深川不動尊である。先日わたしも新田橋を見つけられないまま、結局門前仲町まで歩いてしまった。二人が新田橋の帰りに深川不動尊に立ち寄ったその足どりをはからずも追体験したというわけである。地下鉄の駅で言えば東西線の木場と門前仲町の間一駅分。たとえ女性の足とはいえ、この距離ならば昔の人はものともしないだろう。
こうなると、二人が身を寄せていた母浦辺粂子の家があったのはどのあたりなのか、また、三浦が営む洋品店があったのはどの商店街なのかという地理学的興味が湧いてくるけれど、あいにく手がかりはまったくない。
「稲妻」の登場人物間で交わされる会話(脚本は田中澄江)はなかなか味わい深い。『東京人』10月号所収の武藤康史「成瀬のことば感覚。」において、かつて人びとの間で交わされたに違いないのだが今や忘れられてしまったユニークな言葉づかいがいくつか指摘されている。この武藤さんの文章については、すでに晩鮭亭さんが注目されている(id:vanjacketei:20050903)。
武藤さんは、川本三郎さんの『映画の昭和雑貨店』シリーズに拠りつつ、「稲妻」から、浦辺粂子の「お二階のねえ、二食なんだよ」という台詞を取り出す。「二食」(にじき)は、生活を切りつめなければならないので一日三食のところ二食にしているという意味だ。浦辺の家の二階を間借りしている独身女性が一食切りつめ、ささやかな贅沢(母の遺品の電蓄で音楽を聴く)をしているのである。同じく浦辺の台詞「幸福だなんて、そんなハイカラなこと!」も、浦辺の口から発せられることによって味わい深さが増す。
武藤さんの指摘はないが、昨日観ていて気づいたものに、三浦光子が姉村田知英子に向かって「ご発展ねえ」と言う台詞がある。『日本国語大辞典』第二版では、「異性関係や酒などに耽って遊び歩くこと」とある。艶っぽいニュアンスを含みつつ相手を揶揄するような言葉だろうか。これもいまや死語となっていよう。
そもそも成瀬作品に限らず、昔の日本映画を見ていると、いまや無意識にも使わなくなったような「まあ」「あら」のような感嘆詞がよく女優の口から出てくる。当時は何の障りもなく使われた言葉だろうけれど、いま映画でこれらの言葉を聞くと、この言葉を失った日本女性、ひいては日本人は、かわりに何を得たのだろうと首をひねってしまう。