間違えて録った映画だが

「首」(1968年、東宝
監督森谷司郎/原作正木ひろし/脚本橋本忍小林桂樹南風洋子下川辰平佐々木孝丸/三津田健/神山繁大滝秀治

もともと先日観た「与太郎戦記」(→8/6条)を録画しようとして、間違って録ったのがこの「首」だった。幸い時間帯が同じだったので、前後が切れることなく、丸々録られていた。
いま「幸い」と書いたのは、間違って録画したものの、観ずにハードディスクから消去するのも何なのでそのままにしていたところ、「黌門客」(id:higonosuke:20050618)でのやりとりで俄然関心が浮上してきたのだった。むしろ「録って良かった」とミスが転じて福と成ったのを喜んだ。
原作は正木ひろし。俗に「首なし事件」と呼ばれた、警察による被疑者の暴行致死事件の隠蔽をテーマにした映画である。橋本忍が脚本。さすがにスリル満点で目を離す隙を与えない。
ある炭坑の鉱夫が、賭博と闇物資の取引の容疑で拘引され、拷問によって命を失う。炭坑の経営者(南風洋子)には死因が脳溢血と伝えられ、そのように処理されて遺体も埋葬される。死因に疑問を持った南風は、調査を正木(小林桂樹)に依頼する。ライバルの炭坑会社と結んだ警官が、自分の会社を陥れようとした結果なのではないかというのだ。
最初は乗り気でなかった正木も、背後に巨大な権力の影を嗅ぎとると、逆に猛然と執念を燃やしだし、全力をあげて真相解明に乗り出そうとする。事件を脳溢血で幕引きさせようとする検事に神山繁、検死医師に大滝秀治
解剖を頼むため東大法医学教室の教授福畑(古畑種基がモデル)を訪ねるが、東大は民間からの解剖依頼は受け付けないとやんわり拒否される。しかし旧知の東大医学部教授南(三津田健)に相談すると、遺体の首を持ち込めば解剖しようと請け合われる。安田講堂から正門に向かって歩き、左側に曲がって法医学教室に向かうシーンあり。たしかにそちらに医学部本館はある。
墓地を暴いた罪、死体損壊の罪も問われる。正木の行動に当局が目を光らせているので、墓を掘り返しているところを見つかったり、持ち帰った首が押収されればそこで×。しかも、せっかく解剖できても、公式発表どおり脳溢血であれば元も子もない。自らの弁護士生命を賭して茨城の山中にある墓地におもむき、吹雪のなか墓を掘り起こさせる正木。その緊迫感。
南から紹介され、墓地に同道して実際首を切る作業を行った法医学教室の雇員中山(大久保正信)がいい味を出している。腕がいい職人といった風情。むかしはこういう人が教官とは別に所属していたんだな。首を切りとったあと、旅館の一室で食事を振る舞われるが正木は手をつけられない。彼だけがおいしそうに酒を飲み、水炊きを食べる。時代は戦時中なのである。帰りの電車でも窮地を救うのが彼なのだった。
ようやく法医学教室に首を持ち込んだが、頼みの福畑は直接解剖の執刀をせず、助手らに任せる。「やはり民間からの持ち込みは駄目か」。あきらめかけた正木だが、解剖中福畑が顔を見せ、的確に死因を特定する。
この福畑役が佐々木孝丸。またしても茺田研吾『脇役本』*1(右文書院)に登場してもらおう。茺田さんは佐々木の脇役ぶりについて、「リアルな政財界の古老、知的な右翼の大ボス、冷酷無比なヤクザの親分。いずれを演じても、ドスをきかせて画面をひきしめる。その風格ある面構えは、アナーキストとして風雪に耐えた演劇人の勲章でもあった」とスケッチする。
この映画でも、法医学界の権威にして東大教授古畑種基を演じて風格十分だった。実はスタッフロールに佐々木孝丸の名前を見いだしたものの、顔を知らないので、彼がどの役を演じているのかわからなかった。映画で古畑種基役の役者の重厚さが気になったのだが、彼が佐々木孝丸だったのか。茺田さんの言うとおりの役者さんだった。
むろん主演小林桂樹も迫真の演技で貫禄たっぷり。この映画が代表作のひとつに数えられるのもうなずける。
最後のシーンは、再度の解剖に付された首が、ホルマリン漬けにされ東大医学部から慶応大医学部に移され、昭和20年5月25日の空襲で焼失したというものだった。現在読書中の都筑道夫『推理作家の出来るまで(上)』*2(フリースタイル)が、ちょうどこの日の空襲で都筑さんの家が全焼するという章にさしかかっていて、その偶然に驚いた。