原作=主演という不思議

南の島に雪が降る」(1961年、東京映画・東宝
監督久松静児/原作加東大介加東大介伴淳三郎有島一郎西村晃渥美清桂小金治志村喬三橋達也森繁久彌小林桂樹三木のり平フランキー堺

脇役本加東大介の名著『南の島に雪が降る*1(知恵の森文庫)は反戦の書というよりむしろ、芸の記録、芸談の本であるというのが、本書を読んだわたしの感想だった(→2004/8/17条)。刊行されたばかりの茺田研吾さんの『脇役本』*2(右文書院)でもまた、本書の魅力を「芝居づくりのおもしろさにあって、反戦文学ではない」とあるのを読んで、思わず、「同感!」と膝を打った。
今年は終戦60周年という節目の年にあたり、現在日本映画専門チャンネルで戦争映画の特集放映がなされている。この名著を原作として制作された同名の映画もラインナップに含まれ、原作を面白く読んだわたしにとって期待を持たないはずがない。茺田さんによれば、本書はNHKでドラマ化されたあと、フジテレビで連続ドラマ化、東宝で映画化されたが、そのいずれも主演は加東だという。
それにしても不思議な映画だ。加東大介という役者が自らの戦争体験をもとに書いたノンフィクション作品があって、それを原作とした映画に原作者自身が主演し、「加東大介」という役を演じる。加東大介が演じているのは実体験そのままでなく、いったん『南の島に雪が降る』として活字に定着された過去の自分なのである。
過去の自分の行動をそのままに演じれば映画になるのか。たぶんそう簡単な問題ではないはずだ。文章に定着する過程で過去の記憶が切り落とし整理され、ときには脚色も加えられる。映像はそこに映画としての演出という解釈が加わる。演じるのは過去の自分であっても、まったくの自分ではない。複雑だ。加東はこの役を演じるにあたり、どんな心構えを持っていたのだろう。
さて、映画のほうは映像だけあって、「芸談」の味わいは薄くなっている。ニューギニアの隔絶された地域を守備するという、目標をなかば見失った絶望的で悲惨な環境のなか、兵士たちの戦意を鼓舞するため、演芸分隊が組織される。演芸分隊に属する、一芸をもった兵士たちの個性と、悲惨な戦争の渦中にあって祖国を恋うてやまない兵士たちの思いが詰めこまれる。雪が降るシーンも原作と異なるから、映画はやはり事実の忠実な再現でなく、『南の島に雪が降る』という著作の脚色なのだ。
演芸分隊に所属する兵士では、伴淳さんが出色だ。「東北のダンズーロー(團十郎)」と呼ばれたドサまわりの旅役者というふれこみで分隊入隊を志願してくるけれど、演技があまりにもクサく、使いものにならない。不合格の烙印を押されるが、入れてくれなければ自決すると腹に刃物を突きたてたため、加東は渋々入隊を許さざるを得ない。
出し物の稽古をしても、演技が泥臭く大げさで目に余る。リアルで自然な演技という注文をつけてもなおらない。しかしやっていくうち、一座のなかで加東の相手役として重要な位置を占めてゆく。ある夜、加東と二人になった伴淳さんは、この演芸分隊を通し芝居にはリアルさが必要であることを知ったと謝意を表し、絶対生きて帰り、帰っても役者を続けていつかは東京に進出すると誓う。感動的なシーンだ。同郷山形出身の役者として随一の人。
如月寛多を騙る青田上等兵の役に渥美清。僧侶で加東を背後から支え部隊の精神的支柱となる篠崎曹長有島一郎。手品を得意とする大沼一等兵桂小金治森繁久彌小林桂樹三木のり平フランキー堺は特別出演で、それぞれ印象的な役柄を演じている。
フランキー堺は、山奥ですでに全滅したと発表された部隊の生き残りの一人で、定期的に山を下り、食糧などを調達して山奥に戻ってゆく。公には全滅の発表なので、山奥から出てきて別の部隊に配置転換できないという残酷な境遇。
ちょうど山を下りてきたとき、演芸分隊にピアノが運ばれてきた。元ピアニストのフランキーはそこに割り込み、分隊の面々の前で華麗なピアノ演奏を披露し、去ってゆく。フランキーのピアノ演奏場面は映画のなかでも見せ場のひとつだろう。
その同じ部隊の班長小林桂樹。のちに彼が山を下りてきたとき、演芸分隊の人々にフランキーはあのあとすぐ死んだことを伝える。彼はピアノが弾けたことに満足していたと言うのが悲しい。最後に小林は瀕死の部下を連れ、彼に雪が降る芝居を見せてやる。
森繁は、帰還は無理だろうという行軍を翌日に控えた中隊長の役で、最後に部下が見つめる舞台で五木の子守歌にのって踊りを披露する。こうした特別出演の役者の使い方が見事であった。
こう見てくると、原作者であり主演である加東大介は目立たなくなり、群像劇の一人、狂言まわし的役柄に徹しているという印象を受ける。原作者=主演という不思議な立場に対する答えがこうした脚色・演出・演技にあらわれていると見るべきだろうか。