お洒落な会話も苦吟の賜物?

紙の罠

都筑道夫さんのユーモア&アクション長篇『紙の罠』(角川文庫)を読み終えた。
つい先日山形の古本屋香澄堂書店で手に入れた本だが、東京に戻る新幹線で、携えていった小林信彦さんの『笑学百科』(新潮文庫、→7/18条)をすぐ読み終えてしまったため、リュックに入れて持ち帰っていた本のなかから急遽本書をリリーフに指名したのだった。
家族で帰省するときは、大荷物になるので、たいてい着替えなどを宅配便で実家に送ることにしている。東京に戻るときも同じ段ボール箱に荷物を詰め自宅に送り返す。でも、いつも戻るときのほうがスペースに余裕がなくなり、重くなる。実家で余った到来物や漬け物などをもらってくることも理由のひとつだが、地元のブックオフでしこたま買った本がそこに入るのが最大の理由だ。荷物を詰めるとき、いつも妻から小言を頂戴する。
先週末の帰省のおりも例によってけっこう買ってしまったのだが(→7/17条)、全部段ボール箱に詰めることをせず、一部リュックに入れて持ち帰ろうとしたことが、帰りの車中で読む本がなくなるという危機を救ってくれた。
帰る直前に荷物を送る手配をするから、荷物が着くのは東京に戻った翌日のこととなる。わたしは手に入れて嬉しかった本などを枕元に置きいとおしむ、子供みたいな癖がある。宅配便送りにせずリュックに詰めたのはその延長線上にある行為で、せっかく入手した本と離ればなれになるのが嫌だったのだ。そのときは都筑道夫さんの文庫本だけリュック組になっていた。
さて『紙の罠』を手に入れたとき、「読みたいと思っていた」と書いたけれど、なぜそういう心理になったのか、遡ろうとしてもはっきり事情を思い出せない。たぶん下記のような事情だったかもしれない。
都筑道夫コレクション《ユーモア篇》 悪意銀行』*1光文社文庫)などを手にし、同書収録の長篇『悪意銀行』に惹かれた。でもこの先行作(登場人物が共通)に『紙の罠』という長篇があることを知り、そちらから読んでおいたほうがいいことを知る。ただ肝心の『紙の罠』のほうは入手が難しくなっている。…
前記光文社文庫版には、なぜか『紙の罠』の元版あとがき(?)だけが収められている。そこでは、この長篇の原型が隔週刊誌に連載された中篇「顔のない街」というものであることをはじめ、次のような執筆意図が書かれている。

推理小説には、ちがいないけれども、ひとつのなぞを、追いつめて、とくおもしろさを、狙ったものではありません。ひとつの大きな事件のなかで、主人公が、つぎつぎに出あう小さな事件を、どう切りぬけていくか、そのおもしろさを、狙ったものです。だから、場面ひとつひとつの、趣向と扱いかたしだいで、出来、不出来は、きまりましょう。(504頁)
紙幣印刷用の紙を輸送中のトラックが襲われ、紙が強奪された。そのニュースを聞いた主人公らは、犯人グループは紙幣偽造を企んでいるに違いないから、次に襲われるのは偽造紙幣を製版できるような腕をもった製版職人に違いないと目星をつけ、その老人の争奪戦が開始される。
製版職人の名前が坂本で、この老人を確保して犯人グループに高く売りつけようと企む悪人どもには、近藤、土方、沖田という名前が付けられている。犯人グループの首領は芹沢で、その本名が鴨江というのだから洒落ているというか、人を喰っているというか。
そこにまた『なめくじに聞いてみろ』のようにグラマラスな女性の協力者がからみ、ときには手を組みときには裏切り、敵味方入り乱れつつ製版職人と紙幣用紙を奪い合う。この争奪戦が「小さな事件」として積み重なり、それぞれに趣向が凝らされる。近藤とか土方という名前はもとより記号めくし、しかも作中で彼らはお互いをA氏やB氏のような記号で呼び合ったりするうえ、二人登場する女性キャラクターも似ているから、人物が混乱して何度も前に戻りながら読み進まざるをえなかった。
都筑作品、とりわけアクション長篇の面白さは、『なめくじに聞いてみろ』の感想でも書いたように(→5/29条)、東京の地理学的興味にあって、今回の『紙の罠』でも登場人物は谷中初音町、中野、新宿、両国回向院、神楽坂、荻窪、新橋、神田、板橋などなど、車や電車で縦横無尽に駆けめぐる。
あといまひとつは、登場人物の間で交わされるお洒落な会話の妙を楽しむことだろう。たとえばこんな会話。
「握手をしよう。やっぱり、あんたはスマートだ。あんたの先祖は、鼠小僧じゃないかね。それとも、顎のかたちが十五代目の橘屋に似てるから、アルセーヌ・リュパンの落し子かな。」
「こんど、系図を調べてみますよ」(154頁)
またこんな地の文と会話はどうだろう。
木のいろも、まだ白っぽく、闇に浮かんで、頑丈そうな物干台だ。雨気をふくんだ空の重さを、警戒してか、夜干しの洗濯物は、見あたらない。そのかわり、まだすこし、暑苦しい感じのレックス・ベゴニアの鉢植が、おしゃれな殿様がえるの傘みたいな縞模様の葉を見せて、おきっぱなしにしてある。(222頁)
「じいさん、留守だったわ。気分転換に温泉へいったんですって。うらやましい話ね。あたしなんか、いきたいなって、考えただけで――」
「気分か転換するか」
「財布が癲癇を起すわ」(同前)
このような当意即妙の洒落を効かせ、ギャグを散りばめた文章は、たぶん落語を知っている人にとって無性に面白いのに違いない。残念ながらわたしはあまりその方面の素養がないから、読み過ごしたギャグがずいぶん多いのだろう。
都筑さんは無類の遅筆だったそうだ。正岡容の弟子たる都筑さんのこと、上のようなギャグは考える間もなく次々と浮かび、いかにもさらさらと書き流しているかのように思ってしまうが、苦吟して生み出されたものなのかもしれない。