高密度にしてノンストップのエッセイ

笑学百科

今回の帰省でメインに読むつもりで携えたのは、昨日触れた小沼丹風光る丘』*1(未知谷)だった。ただなにせかさばる本である。内容的に軽快とはいえ、物理的な重さはいかんともしがたい。
そこで、『風光る丘』を読むのに疲れたとき手にする本としてもう一冊、軽装の文庫本も携帯することにした。帰省や出張のとき、たいてい読書用の本を旅行鞄につめこみすぎて結局消化不良のまま持ち帰ることが多かった。今回は帰省期間が短いということもあって、『風光る丘』と文庫本1冊の計2冊と極力絞り込むことにしたのである。
その文庫本とは、小林信彦さんの『笑学百科』*2新潮文庫)である。本書は夕刊フジ連載本だ。巻末の「文庫版のためのノート」にあるが、小林さんの前任者は阿佐田哲也色川武大)さんで、こちらは『ぎゃんぶる百華』(角川文庫、→2004/2/6条)としてまとめられている。小林さんは色川さんの「百華」に語呂を合わせ、連載タイトル(=書名)を選んだという。それにしても、色川武大から小林信彦へのリレー。夕刊フジ連載エッセイのなんと豪華なことか。
本書はタイトルにあるように、テーマが漫才、落語、喜劇といった「笑い」に絞られている。連載の時期は1981年の2月から6月。ときあたかも漫才ブーム(MANZAIブーム)のただなかであった。現在も「お笑いブーム」だとか。この現在のブームを語るうえで必ず引き合いに出されるのが、二十数年前の「MANZAIブーム」である。わたしは当時中学生で、このブームの直撃を喰らった世代だが、それが歴史になってしまっていることに感慨を禁じえない。
あの時期だからこそ、連載の筆者に小林さんが選ばれたのか、どうか。いずれにしても『笑学百科』は時宜にかなった連載だったと言うことができよう。このブームのさなかに小林さんによる犀利な分析が残されていることを、わたしたちは喜ぶべきだ。
もっとも「文庫版のためのノート」によれば、連載当時「MANZAIブーム」はすでに退潮期にあったらしい。文章を読むかぎりでは、そうしたことは感じられなかった。連載の一番最初がザ・ぼんちの大ヒット曲「恋のぼんち・シート」が取りあげられているのだから。
このなかで小林さんが好意を寄せる芸人をあげれば、萩本欽一ビートたけしタモリ横山やすし島田紳助オール阪神・巨人谷啓古今亭志ん朝などなど。ここ数年のコラムで小林さんが取りあげるようなメンツと変わらないと言えば変わらない。
いや本当に小林さんの書いていることは、驚くほど変わらないのだ。「MANZAIブーム」という二十数年前の流行を取りあげている内容でも古びないのは、そこに本質的な指摘が含まれているからだろうし、いみじくも「百科」という名前にタイトル負けしない知識がつめこまれているからでもある。
彼らの芸の本質を論じる芸人論もあれば、映画や演劇におけるギャグの分析や、笑芸論、流行語論、落語論、あるいは香川登枝緒沢田隆治といった仕掛け人に関するポルトレもある。これらが3ページという短いスペースのなかで語られているから、密度の濃さはもはや言うまでもないだろう。あっという間に惹き込まれ、3ページを読み終えてまた次の文章と、途中自発的にひと休みを入れないかぎり最後まで一気に読まされてしまうような面白さで、こうしたノンストップ・高密度が夕刊フジ連載物の真骨頂なのである。
芸人に対する眼の確かさも驚くべきものである。たとえば次のいかりや長介論。

正直にいって、ぼくはドリフターズにはあまり興味がなかった。
 ただ、いかりや長介というリーダーには注目していて、単独で、脇(役)にまわったら、渋いユニークな演技者になるだろうな、と考えていた。高度成長からとり残されたたぐいの人物を演じたら、風貌といい、柄といい、ぴったりである。いまどき、ハングリーな雰囲気をこれだけ感じさせる人も珍しい。(「いかりや長介の想い出」)
こういう指摘を約25年も前にさらりと言ってのけているのだから、小林信彦という人の見る目を信じないわけにはゆかない。
コメディアンと役者の関係ということで言えば、香川登枝緒の考えを敷衍して、漫才芸人には〈漫才人間〉と〈役者人間〉がいて、この二つのタイプが組んだときに漫才の名コンビができるという指摘も面白かった。エンタツアチャコ、やすし・きよし、啓助・唄子などがそうで、当時の売れっ子では島田紳助(漫才人間)・松本竜介(役者人間)が該当するという。
いまもむかしも小林さんは、シャレのわからない人間、ギャグを解さない人間には厳しい。本書では「根が暗い」という表現を使い出したのが小林さんであるという説が紹介されている。本人は、根が暗い人=シャレがわからない/根が明るい人=シャレがわかる、と規定する。いま自分たちが考えるネクラとネアカの意味合いとはズレがあるが、小林説を教わると、たしかにそうした分類は説得力があるように思う。
本書では夕刊専門紙の有名な100回コラム枠ということもあってか、苦労しながらも、小林さんはかなり気ままに筆をふるっているのではないかと考えられるふしがある。これはギャグだと断りなしに、文章のあちこちにシャレやギャグが散りばめられているからだ。たぶんもっともっとギャグが仕掛けられているに違いないのだが、気づかずに読み進んでしまっている箇所がもっとたくさんあるはずだ。
こうした「わからない人にはわからない」という小林さん独特の突き放すような姿勢が本書のところどころに見られ、「昔からそうなんだな」と苦笑しながら、「わからないのだから仕方ない」と開き直って小林さんの「笑い」論に耳を傾けるのであった。