小沼丹幻の長篇

風光る丘

先日『小沼丹全集』第四巻のことを書いたとき、版元未知谷のサイトをのぞいてみた。
そこで同社のサイトのあちこちを渡り歩いていたら、堀江敏幸さんが毎日新聞に書いた小沼丹の長篇風光る丘』*1の書評が転載されていたのに出くわした。それを読んでいたら、もう、読みたくて仕方がなくなってきてしまったのだった。たとえばこんな文章を読んでいたら、もうたまらなくなる。

あちこちで笑いをとりながら、一見したところ複雑な物語が、するすると遅滞なく進行していく。発表媒体を意識してのことなのだろう、ほどよい謎を踏み石にした章立てと軽やかな会話の多用に引っ張られて、あっというまに終幕まで読み進めた読者は、わずかなもの悲しさを残しつつも全体としては明るい余韻を漂わせている結末以上に、短篇作家だとばかり認識していた小沼丹が、これほどの構成力と、それを十二分に生かし切るだけの余裕ある筆力をそなえていたことに、しあわせな不意打ちを食らうだろう。
もとよりゆっくり時間をとることができる長期休暇のときにと志し、今年のゴールデンウィークでの読破を予定していたのだけれど、出張が入ったり、休みの日でも読書より外出を優先させたりで、結局手をつけることすらできなかった。ちょうど海の日を含むこの連休、法事があって山形の実家に帰らなければならないという機会があったから、そのときにぜひとも読もうと思っていたところに堀江さんの書評が飛び込んできたのである。だから休みに入る前から読みたいという気持ちがウズウズしていたのだった。
A4判二段組で360頁にわたるこの長篇は、小沼丹唯一の新聞連載小説(1961年)であり、1968年に集団形星という版元から刊行されて以来再刊の機会にめぐまれないまま長らく幻の書だった。
小沼さんが奉職していた早稲田大学を容易に推測できるA大学を舞台に、そこの男子学生四人によって構成されている「ガラ・クラブ」という集団が織りなす青春小説、学園小説、ロード・ノヴェル。彼らは一台のポンコツ自動車を持ち回りで乗り回している。ガラ・クラブの「ガラ」とは、「ガラクタ」のガラのこと。
彼らは夏休みの休暇を利用して信州への自動車旅行を計画する。信州という目的地を選んだのは、メンバーの一人杉野の深謀遠慮にもとづくものだった。彼の祖母山野女史は独身男女を結びつかせることに執着するお婆さん。彼女が標的に選んだのは、杉野の友人でガラ・クラブのメンバーの一人広瀬小二郎だった。
杉野と広瀬、また他のメンバーの洞口と石橋、さらに山野女史、小二郎の兄太一郎に、謎の美女吉野玲子、信州旅行の途中で出会った、バイクを駆る井田和尚、それに彼の姪で可憐な少女美代子。山野女史が小二郎の相手に選んだ長野の旅館「亀屋」の娘亀子にその親父で禿頭にして泥鰌髭が特徴的な「ツルカメヤ」。ガラ・クラブの四人と同級生の立花鮒子と妹の鮎子。そこに匿名の美女まで登場する。
これら登場人物ことごとくが物語のなかで生き生きと躍動している。軽くて明るくて朗らかで、甘酸っぱくて、楽しくて、360頁二段組なんてものともしない。逆に、こんな楽しい小説がA4判という持ち重りのする本で提供されているのがもったいない。文庫本という軽いかたちでこそふさわしい。
読みながら、この作品が映画化されたらということを考えた。配役は誰がいいのか。現在でなく、本書が刊行された60年代あたりの俳優を思い浮かべるものの、やはり自分のストックは豊富ではない。せいぜい、山野女史に杉村春子、ツルカメヤの親父に殿山泰司、この二人が浮かんだのが精一杯だった。北原三枝もイメージされて、これは吉野玲子あたりかなあ、と。肝心の小二郎や、脇役として重要な井田和尚(ベラフォンテ和尚)、鮒子・鮎子姉妹に適役が思い浮かばない。
なお、わたしが見つけたかぎりでは、この長篇に「かしらん」は二箇所登場した。