東京で家を建てること

ドリーム・ハウス

小林信彦さんの『ドリーム・ハウス』*1新潮文庫)を読み終えた。
この作品は、『怪物がめざめる夜』『ムーン・リヴァーの向こう側』(いずれも新潮文庫)とあわせ、著者みずから「東京三部作」と称しているうちの第一作目にあたる。前2作品は既読で、それぞれ2003/9/4条・今年1/25条に感想を書いた。
はからずも第一作目が最後に読む作品となったが、べつにこの三つの長篇にストーリー的な関連性があるわけではないから、困惑することはなかった。
主人公は小説家。20年ほど前、40近い頃にある新人賞の候補になったとあるから、還暦を間近にした年齢ということになろう*2。彼には瀬里奈という、30代の謎めいたパートナーがいる*3。『ムーン・リヴァーの向こう側』の主人公とは異なり、この作品の主人公は性的な問題を抱えていない。むしろ年齢にしては精力旺盛のほうに属する。
実家でひとり暮らしをしていた母親が急逝し、遺産となった家と土地を相続したのはいいが、母が生前家の半分を他人に貸しており、主人公が自分の理想にかなった家に建て替えたいと考えても思うようにいかない。
また実家のある土地の立地も悪く、新築が許可されないという場所にあって、古い家の一部を残して他を改築するというやり方でしか、夢が実現できない。
新しい家に住むことに、子供のような憧れを隠そうとしない若いパートナーと、書庫を作って執筆活動に専念できる書斎づくりにこだわる主人公、彼ら二人の前に障害のように立ちはだかる借家人(弁護士を通してのみ登場する)と、奇妙な性癖をもつ同級生のDD、そして家が完成した直後に襲う「事件」。
まるで悪夢のような、後味の悪いと言おうか、苦いと言おうか、言葉では表現できないような居心地の悪い余韻を残す。
物語の最初のほうに、主人公がライフ・ワークとして構想している小説の腹案を一蹴する「偽DD」なる人物が登場する。「偽DD」というのは、あとで本物のDDに会ったとき、彼はその事実に身に覚えがないと主張したからだ。その偽DDが母親の急死に関与しているかのような暗示が与えられたまま、本物のDD登場後は姿をあらわさない。
どういうことなのだろうと訝っていたら、巻末に収められた「〈東京三部作〉のこと」というあとがきがわりの一文に、「〈伏線〉と呼ばれるものが放置されたまま終っている」という感想があったことを紹介し、これに対し「いかに文化的後進国とはいえ、日本の小説読者のすべてがそのような水準にあるとは思いたくない」と嘆いている一節に出くわした。
自分は「文化的後進国」の低い水準の小説読者そのものだなあと苦笑いしつつ、物語の結末もこうした読者の想像力を刺激させるような終り方をしているから、これが小林信彦さんの小説なのだろうと納得する。
小林信彦さんの小説」ということで言えば、東京について評論やエッセイでいろいろ書いてきたが、〈書き尽くしていない〉という思いが残ったため、それを小説として表現したというのも、小林さんらしい。〈書き尽くしていない〉というのは、たとえばこんな側面である。

理由はさまざまであるが、一つだけいえば、対象である東京が、ぼくには、ある時から、現実感を欠いたものに見え、悪い意味で空想的ファンタスティックな都市になったからである。高度経済成長以後の荒廃した東京に住みつづけることは、必要あってとはいえ異様ファンタスティックである。あるいは、東京以外の日本の諸都市においても事情は同じかもしれない。(「〈東京三部作〉のこと」、太字は原文傍点)
こうした問題意識を、評論やエッセイでなく小説のかたちで表現しようとする小林さんは、まさしく真の小説家と言うべきだろう。そんな創作意志の表白を読みながら、もっともっと小林作品を読みたいという衝動にかられてしまう。
わたしは(生活の)必要上「異様」(以下「ファンタスティック」というルビは省略)な東京という都市に住んでいる。東京に住むまえからある程度抱いていた関心をそのままに、というか、住んでから関心をさらに増幅させ、「空想的」な都市に向き合い、むしろ「空想的」なる点を愉しもうとしている。その点小林さんの東京への違和感といちじるしく態度を異にしている。
「東京という都市は住みにくい」「田舎生活に戻りたい」と思いはじめたときが、ある意味そんなわたしの姿勢が限界に達したことを示すのかもしれない。そして実際、そう思いつつある。
そんな弱音を最近ある人にふと漏らしてしまったことを思い出し、慚愧の念にかられた。そう思うべきではないのだ。小林さんの東京批判を正当なるものとして肯定的に受けとめつつ、でも田舎者根性も捨て去ることなく、この都市で生きる愉しさを味わわねばならない。
最後に、本作品中で見られ、印象に残った東京(日本)批判の矢を紹介したい。
ついでに生きている、とでも思わなきゃやっていけないよ、この後進国では。ついでに生きてゆくしかないんだ」(96頁、太字は原文傍点)
すぐ近くに東京シティ・エア・ターミナルがなかったら、近代的なホテルの経営が成り立つはずはない。隅田川ぞいの中でも、あまり上等とはいえぬ場所にホテルが建ち、そのために土地の等級があがるといった、現代の東京で無数におこる喜劇の一つだ。(170頁)
それにしても、東京で土地を買って家を建てるということは、やはり「気が遠くなるほど奇怪ファンタスティックなこと」なのだろうか。それを安易に夢見ている私は、正常なのだろうか、異常なのだろうか。

*1:ISBN:4101158312

*2:ちなみにこの作品刊行時、作者は60歳だった。

*3:作中唯一固有名詞がつけられた彼女の名前の由来について、後述「〈東京三部作〉のこと」のなかで、「わかる人にはわかる〈ほとんど冗談〉に近いもの」といういかにも小林さんらしいほのめかし方をしている。なお、わたしにはわからない。