「武州公秘話」あれこれ

武州公秘話

ここで書いている駄文のタイトルが「読前読後」である以上、「読後」の感想だけでなく、買った本や読む前の本についても取り上げるという意思を持ってつづけているつもりだ。もっとも「読前」本について書くとき、当然感想にはなりえないわけなので、周辺の情報に力点を置いた書き方になる。周辺の情報の蓄積がない場合、どうしても「読んでから」ということにならざるをえない。
しかも「読まずにホメる」というものを別の場所で書かせてもらっているため、「読前」に語りたい本があっても、ついそちら向けにとっておくということをしてしまう。「読前」本について書く機会は、入手した経緯に「語りたい」という要素が含まれていないかぎり、なかなか訪れないのだ。
今回はそのまれな「読前」本について書きたい。といっても過去に一度読んだことがあるから、正確な意味での未読本ではない。刊行されたことを特筆したいのである。その本とは、谷崎潤一郎武州公秘話』*1(中公文庫)だ。今月の新刊として出たばかり。
武州公秘話」自体は、中篇「聞書抄」とセットにしてすでに中公文庫に入っていた*2。わたしはかつてこのテキストで「武州公秘話」を読んだ。日記を検索すると、購入したのは1990年3月19日、仙台の丸善においてであり、同月27日に読み終えている。感想をこんなふうに書いている。

谷崎『武州公秘話』読了。我慢できずに結局文庫で読んでしまう。これもやはり面白い。ああいう聞書の形式も魅力的である。ただ、無理遣り結末をつけた感があり、物足りなさも感じる。続編がもし出来ていたら、もっともっと素晴らしい作品になっていたであろう。
いまもこの本は書棚の谷崎コーナーに収められているが、15年もわが身近くにあったのかと思うと感慨深い。この時点ですでに品切寸前の風情ではあったが、案の定その後品切になってしまい、ようやく今回復刊の運びとなった。
しかもただの復刊ではない。併録の「聞書抄」が外され、そのかわり『新青年』連載時に添えられた木村荘八による挿絵が全点収録されている。新刊予告で本書が出ることを知ったとき、わざわざ買う必要はないと思っていたけれど、木村荘八の挿絵入りということであれば、そういうわけにはいかない。
さて本書はいま書いたように昭和初年、谷崎の最盛期に『新青年』に連載された。谷崎ファンや探偵小説史に詳しい人であれば、本書にまつわるエピソードをあらためて紹介するまでもないくらい、本作品には曰く因縁がつきまとっている。
当時阪神岡本にあった谷崎邸に何度も足を運び、『新青年』寄稿を慫慂していたのが同誌編集者で探偵小説作家でもあった渡辺温。彼が原稿依頼のため谷崎邸を訪れた途次、乗っていた自動車が阪神電鉄夙川踏切で貨物列車と衝突、夭折してしまう。谷崎は彼を悼み、この事故がきっかけで「武州公秘話」連載が実現するのである。
江戸川乱歩は本作品を次のように評価している。
谷崎潤一郎の「武州公秘話」は探偵小説ではないが、作者自ら猟奇小説と呼んでいるほどで、探偵読者にも充分面白いものであり、これは「新青年」の全期間を通じて最大の収穫であったと思う。(「続・一般文壇と探偵小説」、河出文庫江戸川乱歩コレクション3 一人の芭蕉の問題』185頁*3
もとより谷崎は、小説は無理で、随筆ならという条件で執筆を応諾し、筆を進めていたところに事故の報が入ったとおぼしい。この経緯は、『新青年昭和5年4月号に掲載された随筆「春寒」に記されている。
そしてこの「春寒」というエッセイもまた、探偵小説史のなかで知る人ぞ知る一篇である。乱歩らの先駆者として位置づけられながら、自ら探偵小説について語るところが少なかった谷崎が、わずかに残した探偵小説論として貴重だからだ。
味噌の味噌臭きは何とか云ふが、探偵小説の探偵小説臭いのも亦上乗とは云はれない。若しも所謂探偵物の作家が最後までタネを明かさずに置いて読者を迷はせる事にのみ骨を折つたら、結局探偵小説と云ふものは行き詰まるより外はあるまい。読者の意表に出ようとして途方もなく奇抜な事件や人物を織り込めば織り込むほど、何処かに必ず無理が出来自然の人情に遠くなり、それだけ実感が薄くなるから、たとひ意表に出たにしてからが凄みもなければ面白味もなく、なんだ馬鹿々々しいと云ふことになる。(『谷崎潤一郎全集』第22巻所収)
この谷崎の所説については、中島河太郎「日本探偵小説史」(創元推理文庫『日本探偵小説全集12 名作集2』所収*4)が谷崎の探偵小説を論じるなかで触れている。
本書新版の帯に、谷崎没後40年とあった。谷崎も節目の年なのか。とすれば同年に没した乱歩も没後40年。いまあらためて『武州公秘話』を読むと、15年前に読んだときとはまた違った感想が生じるのだろう。荷風「墨東綺譚」の世界とはがらりと異なる戦国乱世を描いた木村荘八の挿画も愉しみつつ、再読してみたい。