獅子文六三昧・映画編

「大番」(1957年、東宝
監督千葉泰樹/脚色笠原良三/美術中古智/加東大介原節子淡島千景仲代達矢多々良純河津清三郎東野英治郎小林桂樹三木のり平

この映画の美術を担当した中古智さんによれば、

千葉さんの『大番』という映画はとにかく当りましたな。いま、『寅さん』シリーズがギネス・ブックに載るぐらいの本数を作ってますが、その前のシリーズで大当りしたのは『大番』ですよ。(…)なるほど大当りしてお金も儲ったろうけど、ずいぶん無駄なお金も使ったろうと思いますよ(笑)。(中古智・蓮實重彦成瀬巳喜男の設計』筑摩書房、236-37頁)
という。脇役で存在感を示してきた加東大介の主演作であり、代表作といえるのだろう。宇和島から18歳で東京に出てきた赤羽丑之助(ギューちゃん)が、株屋の小僧から一人前の相場師に出世してゆくという気持ちのいいサクセス・ストーリー。
宇和島での「若衆宿」や夜這いの習俗もユーモラスに描かれる。宇和島から出奔せざるをえなかった理由が、大地主の令嬢にガリ版刷の付け文を渡し、地主の激怒を買ったからだというのが笑える。
東京に出てきて、同郷の友人が働く日本橋蕎麦屋を訪ねようと立ち寄った東京駅前の交番の巡査に、小林桂樹。「日本橋には蕎麦屋が何百軒もある」とギューちゃんを思いとどまらせようとする。どんな役をやっても小林桂樹なのだなあ、この人は。またもや江分利満氏を思い出してしまう。
株屋の小僧としての先輩に仲代達矢。あの鋭いまなざしで寄らば斬るという雰囲気の仲代と、ほんわかした丸顔で気のいい加東というコンビは絶妙な取り合わせだ。
勤めていた株屋がつぶれ、途方に暮れているところを救ったのが、インテリの河津。かつて株で一山当てたものの、いまでは零落した伝説の老相場師に東野英治郎。彼は相変らず兜町をシルクハットにステッキで徘徊し、「チャップリンさん」という異名をとる。その東野の示唆でギューちゃんは満鉄の株を買い、20万円の大もうけをする*1東野英治郎の「チャップリンさん」というキャラクターも、この人以外ないだろうというはまり役で、強い印象を残す。
淡島千景は待合の女中で、自分の家にギューちゃんを間借りさせ、いい仲になる。大もうけしたお礼参りで柴又帝釈天を訪れたとき、淡島はギューちゃんに求婚する。女性から求婚され、しかも「あなたに尽くしますから」なんて言われるのだから、果報者だ。この映画の淡島千景は、これまでわたしが観た映画のなかでも最高に色っぽくて、いい。
こう感じたのは、アプレゲールの「てんやわんや」やバリバリ働く女性の「やつさもつさ」に比べ、ただただギューちゃんのために尽くしたいという役柄だからかもしれない。わたしの女性観が如実にあらわれてしまっているかも。
ギューちゃんは待合の付け出しで出された「うに豆」がたいそう気に入る。また、トンカツを頼んで、「待合はそう飲み食いするところではない」と淡島からたしなめられる。
店がつぶれて以来久しぶりに再会した仲代と意気投合し、初めて歌舞伎座見物に行く。演目は「伽羅先代萩」。人目も憚らず号泣するギューちゃんに、「もう一緒にいくのはイヤだ」と呆れる仲代。ここで憧れの令嬢(原節子)と再会するものの、何とその日は5.15事件の日。歌舞伎座内に臨時ニュースが流される。
事件をきっかけに、ギューちゃんの運は坂道を転がり落ちるように悪くなり、心機一転まき直しをはかろうと、帰省を決意。淡島に涙ながらに見送られて東京をあとにする。
…と、ここまでが「大番(青春編)」。早く「続大番」も観たい。『父の乳』を読み終えたばかりだというのに、『大番』も読みたくなってきてしまった。新潮文庫版で上巻しか持っておらず、これまで読むのを躊躇していたのだった。たぶん、これまでの獅子文六作品の例に漏れず、映画より小説のほうが面白いような気がする。
チャップリンさん」と言えば、喜劇王チャップリンは来日中5.15事件に遭遇している。そのことを素材にした川田武さんの『五月十五日のチャップリン*2という歴史ミステリがちょうど光文社文庫の新刊で出たばかりで、気になっている。

*1:20万円というのはどのくらいの儲けなのか。昭和6年当時、銀座三愛付近の一坪の地価は6000円だったというから、その程度が推し量られよう。池田彌三郎「銀座の地価」(週刊朝日編『値段の明治・大正・昭和風俗史(下)』朝日文庫

*2:ISBN:433473880X