観ずに死ねない?

宝塚というユートピア

川崎賢子さんの『宝塚というユートピア*1岩波新書)を読み終えた。
東京に何年住むことになるのか、死ぬまで住むのかわからないが、いつかは東京宝塚劇場に「宝塚歌劇」を観に行きたいと考えている。こんな気持ちが芽生えてきたのは、東京に住むようになってからのことだ。
本書の帯に大きく「観ずに死ねない!」とある。宝塚を意識したことのない人にとっては「大げさな」と呆れる文句かもしれないが、上に書いたように、わたしの心情もここに近い地点にいる。
宝塚を観たいというきっかけは、二つあった。ひとつ目は庄野潤三さんの作品。親友の故阪田寛夫さんの娘大浦みずきさんがタカラジェンヌであり、小説を読んでいると、彼女を介して宝塚を観に行くくだりが印象に刻まれる。
いまひとつは戸板康二さんの影響。歌舞伎の劇評家である戸板さんは、新劇にも造詣が深かったし、宝塚の熱烈なファンでもあったという。このあたりの経緯は『BOOKISH』第6号戸板康二特集*2所収の当世子夫人インタビューに詳しい。また、『泣きどころ人物誌』*3(文春文庫)所収「天津乙女の白襟」では、

私は「モン・パリ」以来、宝塚をずっと見ており、近年はかなりの数のスターとも、個人的につきあっている。(158頁)
とある。「モン・パリ」は、『宝塚というユートピア』によると、いまでは宝塚と言えばこの舞台と誰でもが知っている大階段が初めて設えられた演目で、昭和2年(1927)のことだという。この公演と戸板さんが観た「モン・パリ」が一致するとは必ずしも言えないが、やはり少年時代に遭遇した(戸板さんは1915年生)と考えるのが自然か。
フジテレビの笠井信輔アナウンサーも、自分が熱烈な宝塚ファンであることを公言して憚らないし、一度は観てみたいなあという気持ちが少しずつ募ってきているのである。
そんな自分の気持ちの変化と、戸板さんのような方がいっぽうで宝塚ファンであるという心性を知りたいという期待もあって、本書を読んでみた。宝塚という「文化」を、その歴史、戦時下の活動、ジェンダー論といった角度から論じた、新書にしてはけっこう骨のある内容で、「なるほどなあ」と感心した部分が多い。
モダニズム文化の研究家でもある著者は、宝塚に「モダンな都市大衆化としての側面と、田園ユートピア幻想の一翼を占めるという側面」(14頁)を見る。それが宝塚歌劇団の物語を重層的なものにし、その表現の振幅を大きなものにしている」という指摘は、けっして単調で平板なものではない、宝塚というダイナミックな演劇ジャンルの深さを的確についているのだろう。そして戸板さんはこの「モダン」という側面に、まず惹かれたのに違いない。
スペクタクルに五感を圧倒されつつ、物語を読み、スター・システムの変動を読み、宝塚というメディアを読み、観ることと読むことの快楽は刺激される。(174頁)
上記の指摘や、観客(=ファン)としての観劇の作法、スターの劇場入りの出迎え方などに至るまで、宝塚はそのシステムのなかにさまざまなコードを誕生させ、それが「伝統」となってゆく。
スペクタクル性に富んだ芝居を観ることで味わう純粋な興奮と、これらの宝塚歌劇にまつわるコードを読み解き、身につけるというある種知的な楽しみ。歌舞伎にも共通するようなこんな二面性が見物欲を刺激させる。歌舞伎同様、ハマると怖いものであることは間違いなさそうだ。