しかしお定さんがお好きですね

犬だつて散歩する

今年度、半期だけだが都内の某大学で週に一度教壇に立つことになった。ここは、丸谷才一さんの小説中随一の傑作だと思っている『笹まくら』*1新潮文庫)で、徴兵忌避者の主人公が戦後事務職員として勤務した学校のモデルだ。
これは丸谷さんご自身の大学教師の経験が生かされているのであって、この大学における英語の授業風景は、嵐山光三郎さんの『口笛の歌が聴こえる』(新潮文庫*2新風舎文庫*3)に詳しい。もう言わなくても大学名はわかるだろう。
ふたつの愛読する小説に登場し、また、かつて吉田健一種村季弘さんも勤めたこの大学は、ゆえに、わたしにとって長く憧れだった。そこで講義をするという不思議な機縁に恵まれ、とても嬉しい。
初出講日は緊張していたけれども、その大学周辺にはめったに出かけないため、最寄の地下鉄駅から大学までキョロキョロとあたりを見まわしながら歩いているうち、路地裏のあまりの雰囲気のよさに気分が高揚して緊張がとけてしまった。これから秋口までの週一回、このあたりを歩くことができる幸せをかみしめる。
ちょうど電車本を読み終えたところでもあったので、記念に丸谷さんの未読エッセイ集を読むことにした。一時期熱狂的に古本で買い集めた丸谷さんのエッセイ集には、未読のままになっているものも少なくない。最近は新刊で出るエッセイ集を読むことしかしていなかったので、ちょうどいい機会だろう。
書棚の“丸谷コーナー”から取り出したのは、『犬だつて散歩する』*4講談社文庫)である。昨日の記述のなかで、『マイナス・ゼロ』に座を譲ったり、野坂昭如編『ゴシップは不滅です』を紹介した読書中の電車本とは、本書のことであった。
このエッセイ集も他の本の例に漏れず「書巻の気」に満ち、硬軟の話題をおりまぜながら読む者を飽きさせない。脱線したと思わせてじつは話題の核心を別の角度からつくものであったり、まったく無関係な話題を並べたと思ったら最後にそれらがつながったり、自在の筆さばきで、気軽に書かれたようでいて実際はたくみに考え抜かれた文章の魔術に酔った。
「残念な話」という一篇では贈与論の話題が提供され、のちに『女ざかり』につながる勉強の成果が小出しにされているのかなと勘ぐりながら読める。ここでは、外国人の学者から見た日本の贈答習俗の特質について紹介されているが、引き合いに出されるヘルムート・モーズバッハという学者がいかにも贈与論のモースを組み合わせたような胡散臭い名前なので、この人の議論全般がすべて丸谷さんの創作ではないかと邪推した。
丸谷さんの仕掛けた罠にはまるまい、これを見破ったと意気軒昂たる気持ちでネットで「モーズバッハ」を検索したところ、実在しているではないか。日本の大学で社会心理学を講じているから、間違いなく同一人物だろう。丸谷さんにも、モーズバッハさんにも失礼なことをしてしまった。お詫びいたします。
「阿部お定」の一篇では、阿部定を東京の女の代表に推している。江戸の女の代表がお七であることと合わせ、俄然話の柄が大きく立派になり(このへん丸谷調)、「すなはち東京といふのは意外にエロチックな都市なのである」と断ずる呼吸の見事さ。
それにしても丸谷さんは阿部定好きだ。前にも阿部定の話を読んだことがあるなあと探してみたら、『男もの女もの』*5(文春文庫)に「阿部定問題」という一篇を見つけた。ざっと目を通すと、ここにも「阿部お定」で紹介されていた武田泰淳のエピソードが書かれてある。よほど好きなのだ。
面白いのは和田誠さんのイラスト。「阿部お定」にも「阿部定問題」にも、拘引されたとき(?)に撮されたニヤリと笑う写真を下敷きに描かれている。ほとんど同じ構図なのだが、阿部定の和服の着崩し方や笑い方、後ろに描かれている当局の人間の顔などが若干違う。両方とも紹介したいのだけれど、著作権の問題がからんできそうなので遠慮する。関心のある方はふたつの本をご覧いただきたい。
ちなみに「阿部定問題」のほうでは、阿部定が丸谷さんの強力な推挽で「日本史をつくつた一〇一人」に入ったこと、そのため山崎正和さんから「しかしお定さんがお好きですね」と呆れられたことが書かれてある。
最後に、吉田健一が亡くなったとき、火葬場の帰りに中村光夫と交わした会話から入る「食堂車」という文章にある、吉田健一ポルトレを紹介したい。

あの批評家は、卑俗な事柄をたちまち高尚な文明論に転ずるのが得意だつた。といふよりもむしろ、吉田さんの手にかかると、世の中には卑俗な事柄なんかなくなつて、すべて高雅な話題と化するのだつた。あの脱俗の気風をわたしはなつかしむ。(151頁)
なんだかいまの丸谷さんにも、この評言は通じるような気がしないでもない。