山藤章二の都会的感覚

アタクシ絵日記忘月忘日

山藤章二さんの『アタクシ絵日記 忘月忘日』*1『アタクシ絵日記 忘月忘日2』*2(ともに文春文庫)を読んでしまった。「山藤章二読書強化年間」宣言からまもないというのに、もう読む本が2冊減った。「読んでしまった」という嘆きの表現しかとりようがない。
でも仕方ないのだ。「夕刊フジ」100回連載シリーズの記事を2のほうで見つけ、また、このシリーズを買う直接のきっかけとなったのが、2の冒頭にある「番外篇」の「似顔絵に見る文士の変貌」なのだから。これらのみを拾い読みして、残りは別の機会にと言われても我慢できないにきまっている。
「似顔絵に見る文士の変貌」は、『オール讀物』(「アタクシ絵日記」が連載されている雑誌)が、山藤さんが描きつづけてきた作家の似顔絵を並べた特集をした誌面をそのまま転載したもの。70年代から、この文章が書かれた86年頃までの十数年間での作家の変貌、そしてそれを描く山藤さんの筆致の変貌がわかる大変興味深い特集だ。しかも面白いのは、描かれた作家たちが、山藤さんの似顔絵に対してコメントを寄せていること。
ここに登場する作家は、順に野坂昭如藤本義一井上ひさし佐藤愛子田辺聖子山口瞳吉行淳之介五木寛之筒井康隆という面々。このうち佐藤・田辺両女性作家以外は全員「夕刊フジ」で仕事をともにした仲間である。
このコメントも作家それぞれの色が出て笑える。大雑把にわけると、「実物よりよく描いてくれて嬉しい」派と、「悪く描きやがって」派に二分される。前者には井上・田辺・山口各氏、後者は野坂・吉行氏あたりか。
田辺さんは「山藤さんが描いて下さる私は、とってもいい。/本物の私より、ズーッとかわいく描かれているんだもの」、山口さんは山藤章二は天才だ」で始まり、「思うに、山藤さんは僕のファンなのだろう。そうでなければ、こんなに贔屓目に描いてくれるわけがない。有難いことだ」と感謝する。
屈折しているのは井上さん。「負け惜しみでいうのではない、胸に一物を隠して云うのでもない、山藤章二さんの似顔絵には心から感謝している」と書き出す。なぜかといえば、初対面の人から必ず「似顔絵より実物のほうが何倍も美男子だ」と言われ、儲けた気分になるからとのこと。かくて「山藤画伯の似顔絵は醜男子の光明」と崇めたてまつる。
夕刊フジ」シリーズのなかに、井上ひさしさんの『巷談辞典』があると知ったとき、山藤さんなら井上さんをこんなふうに描くのだろうなあというイメージが頭に浮かんだ。果たして「似顔絵に見る文士の変貌」に出ている井上像を見ると、私のイメージに違わぬお顔だったのには笑ってしまった。いや、笑いを通り過ぎて「かわいそうだ」と同情してしまった(どちらも失礼か)。
さて、『アタクシ絵日記 忘月忘日』を通読してもっとも印象深いのは、2で語られる寺山修司との思い出だ。寺山から直接の指名を受け、彼の小説「あゝ荒野」の挿絵を担当することになり、その顔合わせのときのエピソード*3
山藤さんは読みさしの『オール讀物』を小脇に抱え寺山との待ち合わせ場所だった喫茶店に入った。『オール讀物』を一瞥した寺山は、初対面の挨拶より先に、「なんでそんなもん読んでんの?」と明らかにバカにしたような口調で問いかけたのだという。
「昔も今も、芸術より娯楽の方が生理に合って」おり、「だから、オールの、都会的な洒落たエンターテインメント世界に、中学生の頃から親しんでいた」という山藤さんは、そのとき、脳裏に〝イナカモン〟という文字をくっきりと刻み、その後の寺山の活躍に接してもこの言葉が消えることはなかったという。
事は青森生まれと東京生まれという生まれ育った場所の違いだけに還元されるものではないだろう。けれども、最終的にはそんなところに落ち着くとしかいいようがない、山藤さんの「都会的」センス、東京っ子としての矜持の示し方に、〝イナカモン〟に属する(実際私も『オール讀物』を寺山に近い見方でいた)私としては、複雑な心境(ただ心情的には山藤さん寄り)になった。
この文章に添えられている寺山修司の肖像は、ふだんの鋭くて線の細い描画でなく、文字通りの意味で線が太く野暮ったい、まるでガチャピンのような雰囲気のもっさりした姿で、このイラストからも〝イナカモン〟という意識が立ちのぼっている*4
都会人であろうと、〝イナカモン〟であろうと、阪神ファンであろうと、巨人ファンであろうと、いっさい関係なく、山藤さんがこの本で書いている考え方に私は深く共感する点が多い。山藤さんは山本夏彦さんの文章について、「いちいち「もっともだ」と感じるのは、つまりは〝常識〟だからだろう」として、山本さんの常識について、次のようなたとえを持ち出す。

〈世の中の常識〉と〈氏の常識〉との関係は、遊園地にある〝フシギな部屋〟の仕掛けに似ている。全体が微妙に歪めて作られた部屋では、垂直の棒の方が傾いて見える……。(『アタクシ絵日記 忘月忘日』、12頁)
本書や、テレビのコメンテーターとして主張されている山藤さんの考え方にも、この山本夏彦的位置づけを感じるのは、私だけだろうか。

*1:ISBN:4167463016

*2:ISBN:4167463024

*3:寺山は山藤さんより2歳年長の1935年生まれ。1962年頃のこととあるから、二人とも20代半ばの出来事になる。

*4:山藤さんの東京っ子意識は、安部譲二さんと対談をしたことを書いた「'87年7月記」や、お盆で東京からひと気がなくなったことを喜んだ「'88年7月記」にも鋭くあらわれている。