福袋をあける楽しみ

文庫本福袋

坪内祐三さんの『文庫本福袋』*1文藝春秋)を読み終えた。
私は坪内さんの「文庫本を狙え!」(本書の初出)が連載されている『週刊文春』をほとんど読まない。妻の買い物にお供したとき、レジの精算を待つ間の時間つぶしに目を通す程度。ああ、そういえば7月に入院したとき、これまた暇つぶしに病院内に置いてあった古雑誌を見たような気がする。
前著『文庫本を狙え!』以後、同誌を購入したのは、戸板康二『続 歌舞伎への招待』(岩波現代文庫)が紹介された号(04/3/4号)ただ1冊きりで、切り抜いて同書に挟み込んだ*2。連載を読まないのは本にまとめられてから一気に読みたいと考えているからで、だから今回の『文庫本福袋』刊行は「待ってました!」とかけ声をかけたい。
そんな待望の本にもかかわらず、読んでいくうち食傷気味になった。本書には2000年後半分から今年2004年前半分まで、実に4年分194冊の文庫本読書エッセイが収められている。坪内さんはこのボリュームによって「かえって福袋感が増している」と誇らしげだが、私としては、この半分、2年分程度でまとめてもらうのが理想的か。美味な料理を食べつづけているうち味覚が麻痺し、後半は機械的に物を口に運び、食べても味に不感症になってしまった感じ。
読みながらそれに気づいたので、次を次をという気持ちをあえて制御し、あまり一気に読まないようにしたのだが、それでもなかなか抑えきれるものではない。ただ、この本を読んでいるあいだは、本読みとしての幸福感を味わったことも事実である。
仕事を終えさあ家に帰ろうというとき、子供が待っていると思うと帰宅するのが楽しみになる。寒いこの季節は、家が暖まっていると思うとなおさらだ。そしてここ数日はそこに、帰宅したら『文庫本福袋』が読めるという楽しみが加わった。この本が読めるから帰宅するのが楽しみだなんて、滅多に味わえない感覚ではあるまいか。
さて、本書で紹介された本を自分自身の読書体験と重ねれば、次のように分類することができるだろうか。

  1. 同じ文庫版で既読の本
  2. 所持しているが未読の本
  3. 元版を読み文庫本未所持の本
  4. 読書欲をそそられた本
  5. 買ってしまった本

数えてみたら、1が28冊、2が36冊、3が5冊、4が7冊*3、5が1冊となった。1と2が正確な意味での「文庫本を狙え!度」だとすれば、194冊中64冊、約33%、つまりほぼ三分の一となった。これに残りを加えると77冊。これは重なりの度合いとして多いのか、少ないのか。逆に考えれば、あと117冊は本書を読んでもさほどの食指が動かなかった。これが多いのか少ないのか。坪内さんの文章を読んでも心動かされなかった本は、大半が翻訳書や思想書、漫画関係・音楽関係である。個人的に読書欲をそそられなかったとはいえ、これらの分野の本にまで「狙い」を定めている懐の深さと、関心の広さに敬服せざるをえない。
かつて坪内さんの『雑読系』(晶文社)を読んだとき、坪内さんの「本との向き合い方」の特徴に遅まきながら気づき、そこに自分との共通点を見いだした(旧読前読後2003/2/24条)。

本書(『雑読系』―後注)で言及されている書物に関して、いつ、どこの本屋で、どういった流れのなかで出会い、またどんな状況のなかでその本を読んだかという、内容以外の“メタデータ”の部分をとても大事にされているところが好きだ。
これに気づいて以来、私はこの共通点を強く意識しすぎてきたのかもしれない。本書を読みながら、いま自分が「読前読後」として書いている感想が坪内さんの文章(文体、ではなく方法)の亜流ではないかという反省が芽生えている。
「本との向き合い方」に共通点があるということは、本の取り上げ方にも似た点が見いだされるということ。たとえば、本書で一番最初に取り上げられているのは、青山光二『金銭と掟』(双葉文庫)であるが、ここではそれまでの青山さんの文章をいかに愛読してきたかが縷々述べられ、肝心の対象本は結末最後の2行で触れられるのみという、いささかアクロバティックな取り上げ方をしている。これに近い文章はほかにもある。
つまり坪内さんにとって、読んだ本の中味はもちろん重要だけれど、その本にどのように出会ったのかという過程もそれと等しいくらい大事なのだ。これは私もまったく同じ考えである。まあこちらは素人だ。亜流でもいいから自分の関心にしたがってこれからも本の「読前読後」について書くしかないだろう。
坪内さんとの共通点で言えば、「細部好き」という点もあげられる。本書でまっ先に付箋を貼ったのは、次の箇所である。
文庫オリジナルの新刊というのは、何だか、とても得した感じがする。まして、私の愛読するコミマサさんの新刊なら、なおさら嬉しい。(48頁)
田中小実昌『世界酔いどれ紀行 ふらふら』」の冒頭のパラグラフである。先日書いたように、本書購入前にこの部分を立ち読みしたら、『世界酔いどれ紀行 ふらふら』を買い漏らしていたことを思い出し、すぐ確保した(→12/4条)。だから、付箋は欲しいという目印ではない。
ここで坪内さんは田中小実昌さんを「コミマサさん」と書いているという些細なことが、気になったのだ。本書で小実昌さんの本は計3冊取り上げられており、見ると敬称が略されているか「小実昌さん」という呼び方である。田中小実昌さんは「コミさん」という愛称で呼ばれることが多く、それほど熱心なファンではない私ですら、ついそう書いてしまったことがあった。「何をそんなことまで」と思われそうだが、安易にそう書いてしまったことが心の隅にひっかかっていたのだ。ところが熱心なファンであり、一編集者として付き合いもあった坪内さんは「コミマサさん」と書く。この距離の取り方が素敵だ。
冒頭でも触れた「戸板康二『続 歌舞伎への招待』」の末尾に、こんなことが書いてある。
ところで、余談だが、『ブッキッシュ』という関西で出ているリトルマガジンの最新号、戸板康二特集は、とても充実した内容だ。(445頁)
坪内さんご自身も寄稿されているということがあるにせよ、この特集の企画編集に多少なりとも参加させていただいた私としては、この一文が本書に書かれてあることだけでも極上の喜びを味わった。

*1:ISBN:4163665900

*2:この話は『BOOKISH』8号所載「読前読後の快楽 その8」に書いた。

*3:伊藤桂一『螢の河/源流へ』、荒俣宏監修『知識人99人の死に方』、殿山泰司『バカな役者め!!』、フリーダ・フィッシャー『明治日本美術紀行』、大西巨人神聖喜劇』、谷沢永一『私の「そう・うつ60年」撃退法』、東海林さだお『なんたって「ショージ君」』