「こち亀」再認識

両さんと歩く下町

集英社新書新刊の第二弾。秋本治さんの両さんと歩く下町―『こち亀』の扉絵で綴る東京情景』*1集英社新書)を読んだ。副題にあるように、本書のほとんどは、ページ見開きの左側が「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(以下「こち亀」と略)の扉絵(第1頁目)が転載されている(つまり文章自体は全体の半分)。この扉絵はある時点から、各回のストーリーとは別に、隅田川の橋や下町の風景などをシリーズ化し、それらをバックに両さんを配置するといった制作意図があったという。これら扉絵にそそられた。
なぜならば私はこの「両さんの町」に住んでいるから。厳密に言えば住所は葛飾区ではないけれど、最寄駅が亀有なのである。メディアには見向きもされないような、でも個人的になじみのあるマイナースポット(新宿・堀切・立石・四つ木・お花茶屋などなど)がイラストになっているのを見たら、ムクムクと購入意欲がわいてきた。
別に「こち亀」ファンだから亀有に住まいを定めたわけではない。東京暮らしが決まった直後、北千住を基点に部屋を探していて、たまたまいまの界隈に妥協できる物件があり、その最寄駅がたまたま亀有だったにすぎない。アニメはほとんど見たことがない。
こち亀」との出会いをふりかえれば、私の場合、子供の頃いつも行く床屋にコミックが置いてあり、そこで集中的に読んでいた。『少年ジャンプ』を毎週買い続けるような熱心な読者でこそなかったが、床屋で「こち亀」は楽しんで読んだ。「こち亀」が始まったのは76年だというから、私は9歳。床屋で読んでいた時期もそれからさほど離れていないはずだ。いま思えばかなり初期の読者だったわけである。
小学生当時の頃を思い出せば、「こち亀」はかなりマニアックな漫画だったような気がする。ミニカーやラジコンなどおもちゃの知識が両さんたちの会話を通して披露される。この作品を通じて知識を得た。なぜか印象深いのは人形のGIジョー蒐集を取り上げた回。そんな人形があることを知らなかった私は、その知識量に圧倒された。いまでも「こち亀」といえばGIジョーを思い出す。
本書を読んでみると、そんな私の思い出とズレがあることにまず驚いた。本書は、「こち亀」の扉絵を案内役に、その扉絵を描いた(その場所を選んだ)理由などを入口にして、秋本さんが亀有・千住・浅草・上野・神田といった「下町」を案内するという内容である。掲げられている扉絵を見ると、大半が90年代の作品であって、秋本さんがこの時期から、変貌しつつある東京の下町を絵としてとどめておこうという気持ちになっていたことがわかる。
亀有というローカルな町ひとつとっても、駅前の再開発や亀有名画座閉館*2の場面が転載されており、こうした町の変化を「こち亀」のストーリーに組み込んで、のこしていこうという明確かつ強靱な意志が感じられる。
文章からもその気概がにじみ出ていて、そうか(いまの)「こち亀」はそういう漫画なんだということを知ったのだった。むろんギャグは相変わらずなのかも知れないし、マニアックな部分も決して薄まっていないのかもしれないけれど、これを読むことで変わりゆく東京の変わらない部分を肌で感じ、またわが町周辺のよさを知ることができるかもしれないと思うと、一から読みかえしてみたくなってしまった。
登場人物の苗字中川や本田、白鳥などがすべて亀有周辺の地名だったとは、そもそも小学生の私には知らない事実であったし、いまそんな地名となじみがある土地に寓居を定めていることに、ある種の感慨を禁じえない。
亀有駅周辺をぶらぶら歩いていると、線路際に「秋本」という表札がかけられた大きなお宅があって、このお宅はあの秋本さんと関係があるのだろうかと、前を通り過ぎるたびいつも気になっている。本書を読んでも解決しなかったが。ちなみに本書巻末には寅さんの山田洋次監督との対談が収録されている。寅さんと両さん、柴又と亀有の対決である。

*1:ISBN:4087202658

*2:このときすでに私は亀有の住人だったのだが、一、二度前を通ったことがある程度で、閉館にもさほどのショックはなかった。いま思えばもったいないことをした。もっとも最後はピンク映画専門館だったから、見に行く勇気がなかったかもしれないが。