庶民の怨念

笛吹川」(1960年、松竹大船)
監督木下惠介/原作深沢七郎/美術伊藤熹朔・江崎孝坪/高峰秀子/田村高広/市川染五郎中村萬之助岩下志麻川津祐介/田中晋二/渡辺文雄加藤嘉山岡久乃市原悦子

息づまる傑作だった。これは私が映画館という空間が苦手なために息苦しくなったということでなく、ごく一般的な慣用的意味においてである。
以前高峰秀子さんの『わたしの渡世日記』の感想を書いたとき(→9/12条)に触れた部分をふたたび引用するが、彼女はこの作品を木下恵介作品の中で、最も重要な作品だと私は思っているし、日本映画の中でも傑出した映画のひとつだと信じている」「作品としての質が高いのはもちろんのこと、香気、品格ともに、私は彼の一等の作品だと思っている」とする。木下作品をほとんど観ていないので何とも言えないが、たぶん誤りはないだろう。
原作は深沢七郎の同名の長篇である(新潮文庫)。かつて読んだはずだがまったく憶えていない。映画は、モノクロフィルムに部分的にどぎつい原色の着色がほどこされるというユニークなもので、全編カラー・全編モノクロとはまた違った風変わりな味わいがある。
甲斐を流れる笛吹川のそばに営まれている、俗に「ギッチョン籠」と呼ばれる家に住んだ百姓一家五代にわたる壮大な叙事詩である。「お屋形様」である甲斐の領主武田氏と、隣接する大名今川氏・上杉氏・徳川氏との間で絶え間なく打ち続いた戦乱に巻き込まれ虫けらのごとく死んでゆく一家の悲壮な物語だ。
一家の主だった「おじい」は、信玄誕生のさい胞衣を埋める人足を勤めたところ誤って怪我をし、胞衣を血で汚したことが主人の勘気に触れ、斬り殺される。孫の半蔵は「ノオテンキ」(向こう見ずという意味)で、足軽から戦功をたてひとかどの家臣に取り立てられるが、戦死。その姉は、弟の出世により赤ん坊を抱え嫁ぎ先を飛び出し、赤ん坊を父半平に預けたまま弟の世話で甲府の豪商に再嫁する。
のこされたあるじの半平は、いくさにだけは行くなと言い聞かせながら男手一つで孫を育て上げる。この孫定平(田村高広)が全編を貫く物語の柱となる。彼のところに嫁いだ「チンバ」の嫁が高峰秀子。最初は子供に恵まれず、ようやくさずかった四人の子供たち皆が武田氏と運命をともにしてしまう。
長男惣蔵(市川染五郎=現松本幸四郎)が、百姓に物足りず武士の世界に身を投じて頭角をあらわすに及んで、次弟安蔵(中村萬之助=現中村吉右衛門)をも誘い込み、妹(岩下志麻)にも奥仕えをさせる。その都度行くなと止める母親の諫言も意に介さない長男惣蔵。武田氏が滅亡に瀕し山中に逃げるという噂を聞き、末弟平吉(田中晋二)が兄姉たちに帰るよう説得にいくが、ミイラ取りがミイラになって、彼も武田軍に入る羽目に。
とうとう母親自らが武田軍敗走の列を追いかけ、子供たちと行動をともにして、天目山の戦いで無惨な死を遂げるのである。遺された老定平は、いつもと変わらず笛吹川で米をとぐ…。武田氏を滅亡に追い込んだのは、領主によって家や肉親を奪われた甲斐の庶民の怨念だった。いくさに翻弄された庶民にまなざしを固定し封建社会の暗黒面を鋭く抉った映画だった。通奏低音のようにチリンチリンと鳴る鈴の音と、死んでゆく人びとを送るかのごとく物語とは無関係に登場する老婆が印象的でもある。
注目は田村高広(当時32歳)・高峰秀子(当時36歳)夫婦のメーキャップ。老け顔のメイクと演技は迫真で違和感がまったくなく、素晴らしい。主役である高峰が天目山の河原で無惨な死に顔をさらすのにも驚く。
また松本幸四郎中村吉右衛門兄弟は逆に若々しく凛々しい。当時はそれぞれ市川染五郎中村萬之助と名乗っていた*1。なにせ兄は当時18歳、弟は16歳なのだ。兄は眼光鋭く、弟は愛嬌のある雰囲気。口跡などは現在の姿を彷彿とさせるが、やはり若い。現在はそれぞれ風格ある歌舞伎役者として第一線で活躍しているということを思えば、いまの若い役者さんたちも年齢を重ねるにつれて味が出てくるのだろうなあと、歌舞伎役者の成長ということまで考えが及んでしまう。
彼らの父親先代幸四郎白鸚)も上杉謙信役で特別出演。同じく武田信玄役で中村勘三郎も出演しており、二人であの有名な川中島合戦での一騎打ちを演じている。ただこの場面は、庶民を描いたこの映画のなかではオマケ程度の印象にすぎない。いわゆる「ご馳走」ということだろうか。
それはともかく、原作をいまいちど読み返したくなってきた。

*1:二人は翌61年に東宝移籍騒動の当事者となる。