私小説とフィクションのはざまは暗闇

家族

山口瞳『旦那の意見』(中公文庫、→10/23条)の、とりわけ「下駄と背広(私小説田中角栄論)」を読み、いよいよ読むべきタイミングが到来したと、一冊の本が頭に浮かんできた。いまを逃せば、またいつになるかわからない。それは山口さんの長篇小説家族ファミリー*1(文春文庫)である。
母親にまつわる秘密を明らかにした前作『血族』に対し、この『家族』では父親の秘密を探ることが主題となっている。『血族』を読んだときどんな感想を書いたのか、過去の記事を検索したら、この本も出張のとき携えていった本だったことがわかった。今回の『家族』もやはり出張に持っていったのだった。いかにも山口さんの本は「出張向き」かもしれない。
本書は、昭和5年から10年頃まで、川崎の郊外の町に暮らしていた自らの少年時代の記憶を遡りながら、この間の一年間突然目の前から姿を消した父親の秘密を探っていくというストーリーになっている。瞳少年は母から「父は外国旅行に行った」と教えられてきたけれども、真実ではないだろうという疑問をずっと抱えて生きてきた。本書ではこの謎が解き明かされる。田中角栄に感じたのと同様の「胡散臭さ」を父におぼえつつも、大好きだった父親の秘密を暴くことは、すなわち自分のこれまでの生き方と向きあい、なぜそうした生き方を選んできたのかを自らふりかえる営みにほかならない。
前作『血族』は母親の秘密を探るという主題を掲げ、母方の家の歴史が史伝的手法、あるいは「謎解き小説」的手法で描かれた。ミステリ好きの私としては読みながらスリルをおぼえたものだった(旧読前読後2003/3/27条)。今回もそうした謎解きの期待を抱いて読み進めたのだが、前作と比べれば謎の明かされ方にミステリ的妙味が乏しく、肩すかしをくらった感じだ。
もっとも本書を前作同様謎解き小説として過度に期待したからいけないので、こちらはある意味「競馬小説」の傑作という評価が可能かもしれない。父の記憶、川崎の記憶をたどりながら、それと交互に、競馬場で出会った川崎時代の同級生石渡との川崎競馬観戦記が配される。このなかで、これまでも「男性自身」などでたびたび目にしていた若き頃の「ヤクザ人生」が生々しく回想される。
謎解き小説として前作と比べ劣るというのは、謎が徐々に解き明かされていくスリル感という点においてである。結末のカタストロフの大きさという意味ではむしろ『家族』のほうがすぐれているかもしれない。小説中で巧みに張られていた伏線が結末30頁ほどで一気に明るみに出されるからだ。しかも、これまで事実に即した私小説、もしくはノンフィクション的読み物だとばかり思っていたものが、ここでがらりと反転し虚構めき、私小説を読んでいたという土台が揺らいで暗闇の底に突き落とされるような気持ちになる。
結末部分が事実なのかフィクションなのか私にはよくわからないけれど、いずれにしても衝撃的で、やはり山口さんは小説家だったと強く気づかされるのである。