出張で読むべきでない本

ミステリ十二か月

4泊5日という比較的長めの出張で京都に行ってきた。いつものごとく持って行く本を選ぶため、ウキウキ気分で(私は帰省・出張に持って行く時の本選びが好きなのだ)数日前から積ん読本の山を崩したり、書棚のいつもは見ない場所を丹念に眺めたりしながら、3冊の本を選んで鞄につめこんだ。
ところが相も変わらず学習能力のない人間の哀しさよ、行きの新幹線の発車時刻に余裕があったのが運の尽き、時間をつぶすため立ち寄った新刊書店で、新刊として平積みになっていた本を買ってしまった。しかもその本を見た瞬間、「これ、行きの車中で読み終えるかな」という下心まで芽生えたのだから救いようがない。この時点で鞄につめた本のことなどすっかり忘れている。
まあ、そうして買った本が十分満足のいくものだったから良かった。北村薫さんの新著『ミステリ十二か月』*1中央公論新社)である。
本書は讀賣新聞に連載されていた文章を中心にまとめられている。四部構成で、連載の文章が第一部に配されている。毎週、本格ミステリの古典的名作を紹介する内容で、月ごと(だからだいたい四回ごと)にテーマを決め、ある月は日本の古典、ある月は海外の古典、あるいは短篇集など、単調な紹介文にとどまらない、趣向を凝らしたものとなっている。
見開き2頁で一回分、そこに“猫の版画家”大野隆司さんによる綺麗な色刷り版画が添えられている。あまりに魅力的な文章なので、次へ次へと気が急いて、文章をのみを追いかけ読み進んでしまってから、大野さんの装画をじっくり鑑賞しなかったことに気づき、慌てて後戻りするということが何度あったか。
第二部はその大野さんと北村さんの対談である。ここでは、ミステリ初心者の大野さんが、北村さんが紹介した本を読んでいかに挿絵に仕立てていったかという話を中心に、挿画担当者から見たミステリ古典というおもむきになっている。第二部を読みながら、結局第一部の挿絵を見直すこと、これも数えきれず。
第三部はふたたび北村さんの文章が登場。なぜ連載でその本を選んだのかという理由がここで説明される。連載で取り上げられなかった本もたくさん登場するから、第一部の舞台裏でもあり、増補版でもあるような感じ。
第四部は本格ミステリの雄有栖川有栖さんとの対談で、本格ミステリについて、また、連載で北村さんが選んだ本についての是非があれこれとマニアックに検討される。これもミステリファンにはたまらない。つまり一つの連載の文章を楽しむだけでなく、同じ本のなかで、それが挿画・舞台裏・第三者(にして識者)それぞれの目線から捉えなおされているわけで、まさに「一粒で四度楽しめる」本だと言ってよい。いかにも北村さんらしい、練りに練られ、読者を楽しませようという気持ちがストレートに伝わってくる本だった。
こういう魅力的なガイドブックは出張のときに読むべきではない。なぜなら、本書を読みながら「ああ、この本読みたい」「あれ、この本たしか持ってたな」と思いが広がり、でも本屋に行けず、書棚にもすぐ手が届かないという欲求不満を抱えることになってしまったからだ。もっとも逆に出張で読んだから良かったとも言える。読みたいと思った本をすぐ手に入れられるような環境にいたら、危なかった。いまならば、読み終えて数日経っているので、そのときの興奮もいくぶん醒めて冷静な判断ができるような気がする。
本書を読んで読書欲をそそられた本、子供に読ませたいと思った本は数知れない。当面、井上ひさし『十二人の手紙』(こういう本が「本格ミステリ」として紹介されているのもそそられる)、J・P・ホーガン『星を継ぐもの』、パット・マガー『七人のおば』、横溝正史の諸作(まずは『夜歩く』)を早く手にしたくてウズウズしている。