驚いて、読む

「明大前」物語

いま洲之内徹さんのセザンヌの塗り残し―気まぐれ美術館』(新潮社)を読んでいて、まだ読み終えていないのだけれど、このうちの一篇「前線停滞」を読みながら思わず「ええっ!」と驚きの声をあげてしまい、近くにいた妻から訝しがられてしまった。それは、窪島誠一郎さんに関する次の一節である。

二十年前くらいまでならいざ知らず、いまや、関根正二や村山槐多の未知の作品が見付かるというのは奇蹟に近い。靉光にしてもそうである。そんなものはもうないということになっている。ところが、窪島さんはそれを探し出す。窪島さんが探すと見付かるのだ。奇蹟を実現させる窪島さんの執念は、去年だったか、とうとう自分の実の父親を探し当てた。窪島さんは終戦前後の混乱の中で見失われてしまった、水上勉氏の息子だったのだ。そのことは新聞や週刊誌で、もう誰でも知っている。(「前線停滞」)
驚かされたのは、言うまでもなく窪島さんが水上勉の息子だったというくだりである。先日水上さんの訃報を知りその著書『私版東京図絵』を読んだばかりということ(→9/18条)に加え、つい最近刊行された窪島さんの新著『「明大前」物語』*1筑摩書房)が気になっていたという二重の機縁があったからだ。
これを機に、買おうかどうか迷いつつそのままになっていた『「明大前」物語』を急遽購入し、『セザンヌの塗り残し』をひとまず脇に置いてこちらを読み始めた。上記洲之内さんの文章からも明らかだが、その後いろいろと知るところによれば、水上さんと窪島さんの関係については有名な事実であり、窪島さんの別著『父への手紙』(筑摩書房)に詳しいようである。
結局私の場合は無知ゆえの驚きなのだが、好意的に考えれば知らないからこそ新鮮な驚きを味わうことができたのだし、水上さんの訃報直後にこうした事実を知ったという自分自身の読書の流れを考えれば、奇妙な偶然をむしろ愉しめたという満足感が残っている。
驚愕の事実を知った直後、先日読んだ水上さんの『私版東京図絵』を慌てて読み返したところ、この件については以下のように書かれていた。水上さんが大久保の近く柏木五丁目に住んでいた時期の回想である。
私は、寿ハウスの階下の住人だった三つ年長のK女と恋愛し、二階の角部屋で同棲を始めていた。(…)三つ年上だから、彼女は二十四だった。お茶の水のT研究所に勤めていて、私より給金も良かった。知り合って、急速に進み、同棲に至ると、やがて、子が生まれた。(…)私とK女との間に別れが来た。K女は男の子を知人に貰ってもらうよう話を進めていて、無力な私は、結核が嵩じ、三笠書房をやめて、医者通いだった。(61-63頁)
ここに登場する「男の子」がすなわち窪島さんのことで、預けられた先は明大前(住所は世田谷区松原)で靴修理職人を営む夫婦だった。本書は敗戦直後、疎開先の宮城県石巻から帰ってきた窪島さんとその養父母がいちめんの焼け野原となった明大前にたたずむところから叙述が始まっている。
おそらくより詳しい自伝的回想は上記『父への手紙』に書かれているものと思われる。本書は、窪島さんが「明大前」という土地と結んだ記憶が中心となっている。筑摩書房から『父への手紙』の続編を書きませんかとすすめられ、成ったのが本書であったという。
すでに養父母、生母が他界、再会した生父も病床にある今、私が自らの出自を語り合える唯一の「身元引受人」が、この山の手の小さな学生町であるといったらわかってもらえるだろうか。(「さらに、時のまにまに―あとがきに代えて」)
水上勉が東京の町を転々としたことに比べれば、子は驚くほど「明大前」という町に固定し動かない。敗戦直後から東京オリンピック、高度経済成長期を経てバブル期に至る「明大前」という「山の手の小さな学生町」の変遷が、窪島さんの記憶とからめまるで定点カメラのように映し出されている。上の文章が書かれ、本書が刊行された直後に「生父」たる水上さんも亡くなった。窪島さんはどんな感慨を抱いたのだろう。
私は、窪島さんのことは、信濃デッサン館や戦没画学生の作品を収めた無言館の館長として比較的最近知ったばかりである。どちらかといえば、美術評論家的立場の人かと思っていたが、本書を読むと、もともと明大前に「塔」というスナックや、「キッド・アイラック・ホール」(名前の由来が「喜怒哀楽」というのだから洒落ている)という貸しホールを経営する実業家的人物であったことが意外だった。自分の趣味で蒐集していた村山槐多や関根正二・野田英夫らの絵を展示するために建てた個人立美術館が信濃デッサン館なのだという。
本書により窪島さんに興味を持ったので、すぐネット古書店を検索して『父への手紙』を注文した。いずれまたこの本については書くときがくるであろう。
ちなみに私にもささやかな「明大前物語」がないわけではない。大学受験で明大を受けたときの会場が明大和泉校舎だったのだ。これまで東京には修学旅行でしか来たことがなかったから、新宿のホテルに一人で宿泊し翌日京王線に乗って明大前で降りるというただそれだけのことなのに、はなはだしく心細く不安だったことを憶えている。前日東京に住む親類から、会場まで行く手順を教えてもらい実際に行ってみたのだった。いま思えば恥ずかしくも懐かしい。こんな心細さに支配されていたゆえか、結果は不合格で、その後「明大前」とは無縁のまま今に至っている。

*1:ISBN:4480814698/ちなみに本書の装幀は“ミニマリスト”多田進さんで、装画は松本竣介の作品である。