可愛い田中絹代

「花籠の歌」(1937年、松竹大船)
監督五所平之助田中絹代佐野周二徳大寺伸高峰秀子/河村黎吉/笠智衆

もともと観に行こうと思っていた一本だったが、先日高峰秀子さんの『わたしの渡世日記』を読んで、俄然見逃せない映画と思っていた。
映画は銀座の裏通りにあるとんかつ屋が舞台。最初に戦前の銀座の風景が映し出される。とんかつ屋の二階からは夜の銀座のネオンが光る。
とんかつ屋の看板娘に田中絹代。最初私は気づかず、その声でようやく田中絹代であることがわかった。可愛い。声は歳をとっても変わらないものなのだな。田中に片思いを抱くのが、店でとんかつを揚げる職人で中国人風の徳大寺伸。しかし田中は店の常連佐野周二に恋心を抱いていて、彼との結婚を選び、佐野はとんかつ屋に婿入りする。恋に破れた徳大寺は店を辞めて出て行ってしまう。高峰秀子は田中の妹役。
この映画で際だつのは笠智衆だろう。佐野周二の同級生役で、佐野と二人学ランを着て若い若い。若い笠を見て、杉本哲太を連想した。このなかで笠は読経を披露する。
帰宅後『わたしの渡世日記』(上)を読みかえしていたら、高峰さんはこの映画を機に兄貴分徳大寺伸に可愛がられ、映画が終わってからも、徳大寺は彼女を宝塚や帝劇に連れ歩き、レストランでは「まるで二人は恋人同士のように食事をとった」(131頁)という。
笠は「お経が読める俳優」として当時大部屋にくすぶっていたのを抜擢されたとのこと。「飄々とした持ち味と、独特な地方訛りの笠智衆は、この一本で大成功をおさめ、以後、松竹にはなくてはならぬ大きな存在となった」(同上)というから、この映画が出世作なのだ。この映画の脚本に実家がお寺の学生という役柄がなかったら笠はどうなっていたのやら。人間何が転機になるかわからない。