池袋モンパルナスの香り

過日書友ふじたさん(id:foujita)とメールを交わしたとき、現在練馬区立美術館にて上の特別展があることを教えていただいた。いや、「教えていただいた」というのは正確ではない、「意識しなおした」と言うべきか。展覧会があるのは知っており、行こうとは思っていた。しかし積極的に予定を決めるまでには至っていなかったのである。
そこで同美術館のサイトを見ると、この展覧会は小熊秀雄の絵(小熊は詩人である)だけでなく、「池袋モンパルナス」のサブタイトルが冠せられ、小熊と交流のあった画家たちの作品も展示されることを知った。慌てて会期中に行けそうな日を確認すると、どの週末も何らかの予定が入っており、行けそうなのは今日くらいしかないことに気づいたのである。
小熊は「池袋モンパルナス」の名付け親とされており、宇佐美承『池袋モンパルナス』*1集英社文庫)のプロローグには、その名も「池袋モンパルナス」と題された一文が引かれている。そこに織り込まれた詩篇は次のようなものだ。

池袋モンパルナスに夜が来た
学生、無頼漢、芸術家が街に
出る
彼女のために、神経をつかへ
あまり太くもなく、細くもない
ありあはせの神経を――。
さて美術館は西武池袋線中村橋駅からすぐの場所にある。二つの広々としたフロアの一階には、まず入ると小熊の油彩・水彩の大きな作品が並べられ、次に長谷川利行の作品がずらりと並ぶ。小熊作品は後述することにして、長谷川利行の作品をこれだけまとまって観るのは初めてなので、いきなり興奮してしまった。
エノケンの妻を描いた「酒祭り・花島喜世子」(宮城県美術館蔵)のように、長谷川利行を語る上でよく取り上げられる著名な作品はもとより、「酒売場」「鉄橋の見える風景」*2上野広小路附近」「浅草風景ロック座」*3といった風景画が素晴らしい。後ろの三作は白を基調にした明るい色調の風景画で、長谷川利行と白の相性の良さということを考える。
二階の別の一室には、靉光松本竣介・麻生三郎・大野五郎・寺田政明らの作品が展示されている。このなかでは花びらの脇からのぞく異様にリアリティのあるカマキリが特徴的な靉光の「グラジオラス」の前で時間を忘れた。彼の「梢のある自画像」と、同じく展示されていた長谷川利行による青を基調とした「靉光像」と比べるのも面白い。松本竣介の作品もこれだけまとまった量を観たのは初めてで、「郊外」「街にて」「青の風景」という青を基調にした青三部作が並んだ壁を遠目で眺めていると、そこだけ何か温度が違うような印象を受ける。
肝心の小熊秀雄だが、二階の一室にずらりと展示された淡彩・素描の小品154点が何しろ圧巻だ。彼は「諷刺詩人」と呼ばれているようだが、素描を見ていると戯画、諷刺画の才に長けていたことがわかる。また路地裏を描いた作品などからは、滝田ゆうさんの作品を思わせるような抒情がただよう。
図録(2000円)を買い求め、あらためて長谷川利行松本竣介の作品を眺めたが、図録にはどうしても限界があることを痛感する。長谷川利行の絵具をこんもりと盛り上げたマティエールや、松本竣介の陶器のようなすべすべしたそれを生で堪能したあとでは、図録の平面的な図版では物足りないのである。絵もまた実物を見るにしくはない。
この特別展は期待以上の充実した内容で、これで入場料500円は安い。意識を向けるきっかけを与えてくださったふじたさんに感謝申し上げたい。

*1:ISBN:4087482731

*2:『歿後60年 長谷川利行展図録』(2000年)によれば、この風景は隅田川を渡る常磐線鉄橋と見られる。

*3:この作品(個人蔵)のみ上記『歿後60年 長谷川利行展図録』に見えない。