期待しすぎて

孫悟空(前篇・後篇)」(1940年、東宝映画東京)
監督山本嘉次郎榎本健一/岸井明/金井俊夫/柳田貞一/高勢実乗/中村是好/如月寛多/三益愛子清川虹子高峰秀子/中村メイ子/徳川夢声李香蘭藤山一郎/益田隆

朝出かける前に、夜観る予定だったこの映画「孫悟空」の予習のため、関係文献にざっと目を通した。たとえば井崎博之エノケンと呼ばれた男』*1講談社文庫)には、こんなことが書いてある。

孫悟空」は爆笑映画とは質のちがう、音楽喜劇映画なのである。私は「孫悟空」という作品こそ、トーキー初期における、日本の特撮入り音楽喜劇映画の最高傑作であると信じて疑わない。(128頁)
また色川武大さんの『なつかしい芸人たち』*2新潮文庫)の最終章「唄のエノケン」は、いきなり「孫悟空」主題歌の引用から始まる。
空を飛び 地にもぐり
水をくぐれるのォは
自慢じゃ ないけれど
この俺だけだァ

どんな敵でも俺等三人
力合わせりゃ なんでもない

俺たちゃ 世界中で
一番強いんだぞゥ
色川さんは「今でも歌詞まで空でいえる」と書いている。上の井崎さんもこの歌について、「少年の頃一度この映画を見て覚えた歌で、今でも忘れない私の大好きな歌である」とする。この映画が少年たちにいかに熱狂的に迎えられたかがわかろうというものだ。この色川さんの本には、この映画に出演している岸井明(猪八戒役)、高勢実乗(悪役)にも一章が割かれていて、まことに面白い。
孫悟空」をとくに取り上げているわけではないが、小林信彦『日本の喜劇人』新潮文庫*3矢野誠一エノケン・ロッパの時代』岩波新書*4にも目を通し、まだ観ぬ「孫悟空」への期待をふくらませにふくらませていった。
そして夜。観終えての感想は「期待のしすぎだったか」というもの。しかし時間が経つにつれ、ああやっぱりいい映画を観たなあという思いが、ぼんやりとではありながらも、徐々に高まってきているのである。
それは60年前の映画だから、初の特撮(特撮監督は円谷英二)とはいってもたかが知れている。テンポも合わないし、わからないギャグもあったに違いない。エノケン劇団の顔ぶれも有名どころしか知らないので、「あの人が出ている」という、それを観るだけで自然に顔がほころぶような楽しみもない。
でも、エノケンのダミ声(井崎さんは「塩辛声」と表現する)ながらも安定感のある歌声と、岸井明と競うように唄うシーンでは、これがかのオペレッタというものかという一種の感動があった。
映画ですらエノケンの歌声・動きに惹き込まれたのだから、きっと生で見るともっと面白かったのだろうなあと想像する。それにしてもエノケン孫悟空はちゃきちゃきの東京弁だ。井崎さんの本によると青山生まれというから納得。しゃべり方を聞いているとビートたけしの口調を思い出す。
また高勢実乗が実に奇っ怪なキャラクターで印象深い。台詞を必ず「アノネ、オッサン」という枕詞で始める。色川さん曰く、「活字ではなかなかこのイントネーションが伝えにくい。頭のテッペンから出るような奇声で発する」(前掲書26頁)というもので、当時子供たちに大流行して、この台詞を児童が口にすることを禁じた小学校もあったというのだ。いまこう書いていながら思い出し笑いを禁じえない。
エノケン孫悟空は金斗雲に乗らない。如意棒を何と零戦のような戦闘機に変身させ、それに乗って移動する。戦闘機には猿のマークが入っているのがご愛敬。これに岸井の猪八戒と金井俊夫の沙悟浄を乗せ、三人で上の唄を歌いながら移動する。血湧き肉躍るシーンである。
中村是好・如月寛多の金角大王銀角大王は、SF的な衣裳を身にまとい、ロボットのような手下を操り、テレビモニターで悟空たちの動きを監視する。乾杯をしたときは、飲み物を口から摂取するのでなく、頭の天辺にある注ぎ口に注入するという面白さ。如月寛多といえば、加東大介さんの『南の島に雪が降る』(知恵の森文庫、→8/17条*5のなかで、加東さんの演劇舞台に如月寛多を名乗るニセ者が加入したことを思い出す。
金角・銀角に呪いをかけられて犬面にさせられた王女様が高峰秀子。登場シーンは多くないが、なんとも可愛いらしい。当時17歳。お付きの「百科事典の精」に子役の中村メイ子。三益愛子三蔵法師を誘惑する煩悩国の女王。若い三益愛子というのは初めて観た。
予習でたっぷりと仕込んで期待をふくらませてしまったために、逆に素直な感激が味わえなかったのは失敗だった。客席は、色川さんと同年代、当時小学生だったようなおじいさんたち(いま70代くらい)の割合が心なしか多かった気がする。そんな子供の頃の夢を今一度味わいにきたような方々と一緒に「孫悟空」を観ることができたという、その気分が良かった。