芸談としての戦争記録

南の島に雪が降る

つい最近まで映画にまったく興味を示していなかったため、加東大介という俳優の存在を知ったのもここ一、二年のことである。成瀬巳喜男監督作品を中心に観ているうち、そのいずれにも脇役で出演している丸顔のいかにも善人そうな役者さんが強烈な記憶に残った。調べてみると加東大介という俳優だった。いまになって思えば、長門裕之津川雅彦兄弟を紹介するときの決まり文句「○○さん、沢村貞子さんの甥」というその○○が加東大介という名前だったわけで、言われてみると…という感じであるが、知らなかったことにはかわりはない。
いま“日本映画データベース”で私の観た加東大介出演映画を調べると、次のようになる。

七人の侍」「如何なる星の下に」を除きすべて成瀬作品である。このなかで印象深いのは、今年観た「如何なる星の下に」での中風に倒れた親父役の熱演だが、成瀬作品に限れば「放浪記」で高峰秀子演ずる芙美子にひそかに思いを寄せる同宿人の男や「あらくれ」で主人公と一時連れ添う男の役がいまでも脳裏に焼き付いている。
その加東大介さんに南の島に雪が降るという名著があることをchomoさん(id:chomo)に教えてもらったのは今年の1月のことで、このほど新しく知恵の森文庫に入ったので*1、さっそく買い求め読み終えた。
本書を読んで初めて知ったことは多い。もともと加東さんは二代目左團次の門に入って市川莚司を名乗った歌舞伎役者で、ついで前進座に移って昭和18年衛生伍長として応召されたのだという。加東さんが配属された部隊はその後ニューギニア東部のマノクワリという地域に派遣されたが、幸運だったのは、すでに戦争は大勢が決し、米軍はニューギニア東部など目もくれず目標をフィリピン、さらに日本本土に向けていたことだろう。空襲はあるものの大規模な戦闘はなく、相対的に平穏な従軍生活だったようだ。
むろん平穏とはいっても戦場であることには変わらないから、死と紙一重であったことを忘れてならない。常に餓えと伝染病の恐怖に接し、また移動部隊に選ばれず現地に残されたことが逆に死を免れたという体験も味わった。その意味で、極限状態におかれた日本軍の日常生活を記録した貴重な戦記文学であることは言うまでもない。
ただ、敵軍からも見捨てられた孤塁を守るという日々だったゆえ、緊張と背中合わせに退屈があるという異常な状況下にあったらしい。同じ部隊に配属された兵士が長唄の三味線弾きであることを知り、戦友たちを慰めるための余興として、彼や芝居心のある仲間たちとともに劇団を組織しようとする。それが司令部にも認められ、加東さんを中心に「演芸分隊」を編成することを許され、近隣の部隊へも募集を開始した。
するとこれに応じてスペイン舞踊の振付師、ムーラン・ルージュの脚本書き、オペラ館出演歴のある歌手、浪花節語り、舞台装置に興味を持った友禅染のデザイナー、カツラ屋、博多仁輪加を得意とする僧侶などなど多彩な人材が集い、また上官に加東を知る演劇評論家がいたことも幸いし、正式な部隊として発足する。次々と仲間が見つかり集団に活気が増してゆくあたりのスリルは、「七人の侍」や「南総里見八犬伝」を思わせる高揚感があり、語り口のなめらかさからは、加東さんにこの本一冊しか著書がないことを惜しむのである。
ところで本書は従来戦争記録の感動的傑作という位置づけで理解されてきたものだと思う。解説に保阪正康さんを迎え、8月に刊行されたということ(奥付は意図したものか8月15日だ)からも、知恵の森文庫編集部の方針がその方向性であることを如実に物語っている。
解説の保阪さんは本書を「地に足のついた重い反戦書」と高く評価する。戦争文学の傑作であり、叙述から「反戦」という意図を汲み取ろうとする読み方に異を唱えるわけではないが、世間がそんな見方に傾けば傾くほど、天の邪鬼の私としては、本書を戦争文学というジャンルのみから評価することに違和感をおぼえてしまう。これでは本書の魅力を十分に伝えきれないのではあるまいか。
私は本書を一種の芸談として評価したいのだ。ある日加東さんは、女形の内股が一瞬ちらりと見える瞬間に観客たる兵士が歓声をあげ、それがよく見える席(加東さんたちは駐屯地に「マノクワリ歌舞伎座」という常打ちの劇場を建ててもらっていた)にプレミアがついていることを知る。加東さんは男の内股がちらりとのぞくのを見て何が面白いのかとつぶやくが、これに対し仲間の一人は、「斎木だとわかっていても、みんなが見ているのは斎木でなく、石渡ぎんなんですよ」と諭す。斎木とは女形の兵士で、石渡ぎんとは劇中の役名である。
また書名にもなっている「南の島に雪が降」った長谷川伸作「関の弥太っぺ」の一場面。一面銀世界の舞台装置を見て「雪だアッ!」と歓声をあげる観客たち。うだるような暑さのつづく熱帯地方で過ごすなか、故郷の冬が皆の脳裏に浮かぶ。
ある日東北地方出身者で編成された部隊にこの芝居を見せていたとき、雪の場面なのに客席が静まりかえっていた。訝しく思って客席を見ると皆泣いている。芝居が終わるとその部隊の将校が加東さんたちに、この銀世界の舞台をそのままにして、もう一度翌朝見せてもらいたいと頼み込んできた。翌日になって舞台をのぞいてみると、担架に乗せられた重症とおぼしき栄養失調患者が、前日散らした紙の雪をつまんでは放し、放してはつまんでいる姿があった。芝居を見に来ることができなかった重症患者に、せめて冥土の土産を見せてやろうという配慮だったのである。

見てはいられなかった。
三角に小さく切った、ただの紙っきれじゃないか。さわったって、冷たくはないだろう。手の平のなかで固まりもしなかろう。
「紙じゃねえか。紙じゃねえか」
わたしはわけのわからないことを叫びながら、宿舎へかけもどった。(208頁)
本書のなかでも最大のクライマックスと言っていい場面で、思わず目頭が熱くなるが、この雪といい、女形の内股といい、小道具や生身の役者といった現実と芝居の見せる幻想という芝居の本質を物語るシーンである。加東さんはこうした点をこそ語りたかったのではないか。だから個人的には、本書の解説は戦争という側面からアプローチする人でなく、演劇畑の人、たとえば渡辺保さんであれば理想的だったと思うのであるが、いかがなものだろう。