出版神話の崩壊と書店

ヨーロッパ 本と書店の物語

先日の青山ブックセンター(ABC)倒産は、出版・書店業界はおろか、一般の読書家にも大きな波紋をひろげたようである。「ようである」などともってまわった言い方をしているのは、自分はこれまでABCを書店としてほとんど利用しておらず、第一報を聞いたときあたかも「対岸の火事」のような印象を持ったからだ。むろんABCという書店のセンスは二、三度入っただけでも十分感じ取れたし、山口昌男さん・種村季弘さんのトークイベントを聴きに行ったことがあるから、私の場合、書店としてより文化的情報発信源として認めていたようなところがある。
その後多くの読書サイトでABC倒産に関し真剣に議論がなされているのを見て、事の重大さを認識し、わが不明を恥じた。突然自分の働いている会社がなくなった書店員の方々はどうなるのか、そんなことくらいしか考えられなかったのである。未熟ながら自分の認識にそくして考えれば、ABC倒産は、書店はいまや文化的情報発信源という側面をメインに成り立つことは難しいということを示しているのかもしれない。
小田光雄さんの新書新刊『ヨーロッパ 本と書店の物語』*1平凡社新書)がこんな騒動の渦中に刊行され、読んでみるとなおさら書店の文化的意義の重大さを考えさせられる。
本書はおなじ平凡社新書の前著『書店の近代―本が輝いていた時代』*2の姉妹編として、ヨーロッパの出版・流通および書店の近代史を叙述した内容である。セルバンテスドン・キホーテ』が刊行された17世紀初頭から叙述が始まり、行商本屋・貸本屋・キオスク書店といった、書物流通と読者が接する現場に主として視座がおかれる。著者は、その過程で、20世紀に入ると出版は投機でなく創造的仕事であるという「出版の神話」が生まれそれが逆に桎梏となっていると論じる。
出版神話誕生のさきがけとなった書店として、パリ・オデオン通りの「本の友書店」とシェイクスピア・アンド・カンパニー書店それぞれに一章が割かれている。小説家・文化人が書店を媒介に集結しそこから文化が発信された。
本書では主にフランス・パリの書店文化が紹介されている。もちろん「ヨーロッパ編」と銘打つ以上欧州の他国にも目配りがなされており、なかでも興味深いのは第9章で述べられるドイツの事例だった。ドイツでは書籍商を養成する専門学校が開設されているという。小田さんによれば、ドイツの出版業界は「出版社と書店が流通を介して共存していこうとする姿勢」が目立ち、

取引は買切、その支払いは最大限六ヶ月以内、定価販売で粗利益は三十パーセント強、書店員は専門職で、読者に対面販売しているため、顧客の求める本を把握していて、常連客を中心とした特色ある書店経営が可能となる。(150頁)
という。書店員が専門職として遇されていることと買切制であることはコインの表裏の関係にあるのだろう。買切は責任がともなうからだ。日本では買切というと版元の横暴という側面でしか見ていなかった(少なくとも私は)が、書店の立場に立てばそこに責任が生じ、それを負担しうるだけの能力がある店員を必要とする。そうした店員を養成するための学校ができるのも当然であるわけだ。著者はこのドイツのありかたを「あらまほしき書店像」と書く。
小田さんの本は、書物・出版・書店といったテーマを取り上げているわりにブッキッシュな味わいが希薄なのが不思議である。かつて『書店の近代』の感想として書いた文章(旧読前読後2003/5/25条)の一節を借りれば、小田さんは本そのもの書店そのものというよりも、「書店での本との出会いの物語」に重きを置いているからだと言えるのかもしれない。どちらかといえばブッキッシュな話を好む私であるが、小田さんの本を面白く読めるのもそんな点に惹かれるゆえなのだろう。