引用の魔力

愛の空間

競馬の3歳牡馬(かつては数え方で4歳だったが)の三冠レースといえば、皐月賞・ダービー・菊花賞とたちどころに答えることができる。しかしこれは競馬に親しんだいまだから言えるのであって、知らない頃は桜花賞天皇賞有馬記念などとまったく区別がつかなかった。物事というのはたいがいそんなものだろう。いったん知ってみれば、知らなかった昔が嘘のように思える。
では三業地とは何か。いまでは置屋・料理屋・待合の三つの施設がある花街のことを呼ぶことを知っている。こうした話題は昔も何度か耳に入ったことはあるが、さっぱり身につかなかった。それはそうだ。そんな場所は身近になかったのだから。むろん東京に住むいまでさえ、三業地などという言葉は遠い昔のものになり、身近にあるわけではない。ただ、東京の町を歩いていると、それらがたしかにかつて存在したという空気を肌で感じ取るような経験を何度かする。また、東京関係の本を読んでいるとこの手の話題がよく登場するため、すっかり憶え、あたかも昔から三業地とは何かを知っている風な錯覚に襲われる。
とはいえ三業地=置屋・料理屋・待合というクイズ的知識の域を出るものではなかった。小説や映画で少しずつそのような風俗を知るようにはなってきたが、実際それらのシステムがどうなって、また現在にどうつながっているのか、さっぱりわからなかったのである。井上章一さんの『愛の空間』*1角川選書)はそうした知的欲求を満たしてくれる本であった。
本書が新刊で出たとき(1999年8月)、たしかに書店で手に取った憶えはあるし、また、本好きの先輩から面白いぞと強く勧められた記憶もある。しかしながらそのときは結局買わず、2年前に古本で買ってもそのままになっていた。先輩からは“ラブホテルの歴史”として勧められた記憶がある。もっとほかのポイントも教わったような気がするけれど、スッポリと抜け落ちている。井上さんの本ではあるが、“ラブホテルの歴史”ということで、いまひとつ購入欲が沸いてこなかったのだった。
実際本書の一部は“ラブホテルの歴史”ではあるが、全体的に評すればもっと幅の広い“性愛空間の近代史”である。ラブホテルという限定された視点でなく、より広く見渡した発想だと知ったことで、一気に惹き込まれた。素人と玄人でのセックス空間の違い、野外性交と屋内性交、屋内性交の場としての待合、飲食店の二階という空間の歴史をたどりながら、20世紀後半になって日本に広がったラブホテルへと説き及ぶ。
個人的には、やはり“ラブホテルの歴史”的な叙述である後半(第五章〜第七章)よりも、前半が刺激的だった。戦後直後皇居前広場で繰り広げられた野外性交と日本の民俗的慣習、アメリカの占領統治との関係を鋭く結びつける第一章や、待合での芸者遊びを論じる第二章、20世紀前半まで一般的だった飲食店、とりわけソバ屋の二階が性愛空間となっていたことを証す第三章、それまで主に屋外が性愛の空間だった素人が屋内にそれを求めるようになった受け皿として、「円宿」というラブホテルの前身が町中に建てられるようになったことを指摘する第四章、いずれも井上さんならではの資料の博捜に基づく引用の洪水を楽しんだ。
資料の博捜、とりわけ小説を近現代風俗史料として使用することについての井上さんの考え方については、このあとに著された『パンツが見える。―羞恥心の現代史』*2(朝日選書)のなかで表明され、私も同書を読んだときこの方法論に賛意を表した(旧読前読後2002/5/19条)。本書でも「あとがき」のなかで同様の断り書きがある。ここで打ち立てられた方法論が『パンツが見える。』に継承されているのだろう。小説に見える性愛空間描写については、たまたま目を通していたときに偶然見つけたといった「時間のかかる迂遠な方法」をとりながら、13年かかって実を結んだという。
小説を史料のひとつとして、フィクションのなかから作家による風俗観察のありようを丹念に選り分ける。この作業を地道に積み重ねることで、小説を史料とすることの危険性を極小にまで近づける。何度も言うがその博捜ぶりは度肝を抜かれるもので、たとえば第三章「ソバ屋のできごと」に引用される小説作品(それ以外のものも若干混じっている)を抜き出してみよう。

岡鬼太郎『花柳風俗三筋の綾』/長谷川時雨『旧聞日本橋』/平山蘆江『芸者繁昌記』/永井荷風『新橋夜話・色男』『腕くらべ』『おかめ笹』/永井荷風・井上唖々『夜の女界』/岩野泡鳴『耽溺』『放浪』/殿山泰司『三文役者あなあきい伝』/林芙美子『冬の林檎』/小林多喜二『工場細胞』『滝子其他』『放火未遂犯人』/大岡昇平『少年』/獅子文六『自由学校』『やっさもっさ』/徳田秋声『縮図』『黴』/上司小剣『木像』/伊藤整『若い詩人の肖像』/椎名麟三『自由の彼方で』/田山花袋田舎教師』『時は過ぎゆく』『縁』
これにノンフィクションはもとより、新聞・雑誌の記事も加わるから、資料博捜ぶりをうかがうことができよう。私にとって味も量も満足感が得られる。逆に、新聞・雑誌記事が実証のメインになるような現代のラブホテル事情を扱う第五章以降は薄味で物足りない。
待合という施設は東京に特徴的なものである(もちろん他の地域に皆無というわけではない)ことも本書で知った。なるほど東北に住んでいたとき三業地のことがわからなかったのももっともなのであった。