鈍感で切れ者でない名編集者

編集狂時代

このところかつて面白く読んだ本の文庫化が続いており、そのため再読する本が多くなっている。良し悪しという判断基準によるものでは決してないのだけれど、再読を躊躇してしまうことがある。それでなくとも未読の本が多いのに、一度読んだ本をもう一度最初から読み直すという営みを時間のロスと考えてしまうのだが、いっぽうで書物は一度読めばそれでおしまいとは思っていないので、再読を躊躇するという心的作用がわれながら苛立たしく恥ずかしい。
先々週の週末もそのことで読もうか読むまいか何度も逡巡したあげく、「読みたい」という気持ちを優先させて再読することにした本があった。松田哲夫さんの『編集狂時代』*1新潮文庫)である。
本書は元版でずいぶん昔に読んだはずだと思っていた。たしか同僚から元版を頂戴したはずなので昔といっても東京に来てからのことにはなるが、「読前読後」として読書日記を書き始める前のことかもしれないと記憶していたのである。
ところが過去の記事を検索して、元版を読んだのが2002年2月であったことが判明した。まだ二年四ヶ月しか経っていない。それにしてはかなり記憶が曖昧、というより偏っており、赤瀬川さんと宮武外骨の話ばかりが記憶に残っていたのだった。過去の感想を見ると、種村季弘資料として貴重などと書いてある。そんなことを思っていたのか。たしかに今回の再読でも種村季弘さんを語ったくだりは面白かった。
毎週土曜日午前中は、所用がないかぎり、平日よりも若干遅めに起床し、朝食をとって12チャンネルの子供番組を子供に付き合って観たあと、9時30分から始まる「王様のブランチ」を観るのが日課になっている。最初のコーナーが本のコーナーで、毎週松田哲夫さんが何を紹介するのか、どんな特集なのか、楽しみなのだ。
今回文庫化にあたり新たに第七章が書き加えられた。第七章ではこの「王様のブランチ」の体験に多くの紙幅が費やされている。本書で松田さんも書いているし、また松田さんが解説を書いた重松清さんの文庫本にもあるように、「王様のブランチ」のレギュラー出演者には“本読み”が多く、寺脇康文さん関根勤さん恵俊彰さんらと本について語り合う松田さんの嬉しそうなお顔が印象的なのである。
本書を読み、今はすでにレギュラーでなくなった木村郁美アナやレポーターの雨宮朋恵さんも大の本好きであることも知った。いまでも二、三ヶ月に一度松田さんは彼女たちと好きな本について感想を述べあう会を開いているという。羨ましいなあ。
これを読んで、2001年9月より約一年間本のコーナーがなくなったことを知った。いや、毎週のように番組を見ていたのだから思い出させられたというべきだろう。元版の感想を書いたのはこの空白期だったわけである。
第七章では、『頓智』の挫折、「王様のブランチ」のこと、『老人力』の大ヒット、クラフト・エヴィング商會との出会いと彼らの本の発売、坪内祐三さんとの出会いと殴打事件での巻き添え負傷、電子出版会社パブリッシングリンクの旗揚げと社長就任という最近の出来事が増補されている。クラフト・エヴィング商會が世に出るまでの話はなかなか興味深い。
初読のおりには編集・出版という仕事に対する情熱の激しさというものを感じた(ように記憶していた)のだが、今回再読してみると意外に自らの来し方を冷静にふりかえり淡々と記述した、抑えた筆致であることに驚いた。凝り性で自分の好きなことには脇目もふらず没頭するという過去の熱さを語っているわりに、語り口は物静かという印象。
物静かなのはテレビで見る松田さんのお姿そのものなのだが、南伸坊さんが解説で「鈍感でキレ者でない」のに名編集者という撞着した松田哲夫像の謎を分析しているところをみると、こうした二つの人格が矛盾をはらみつつ同居しているという率直な印象は、実像から大きく外れていないことがわかるのである。