思いがけない大きなおまけ

如何なる星の下に

「如何なる星の下に」(1962年、東京映画)
監督豊田四郎/脚本八住利雄/原作高見順/撮影岡崎宏三/美術伊藤熹朔/山本富士子大空真弓加東大介三益愛子池部良乙羽信子植木等森繁久彌

この映画を観るために先日原作を読んだわけだが(→6/10条)、原作とかなり違っていることに驚いた。原作は戦前の浅草が舞台で、これこそが『如何なる星の下に』という作品を名作たらしめていると思っていたのだが、映画は大胆にもこの設定を戦後昭和30年代の佃島に変えている。お好み焼屋「惚太郎」もおでん屋の「惣太郎」となり、美佐子を長女とする三姉妹がおでん屋の娘という設定。
元太神楽(?)の芸人だった父(加東大介)が出征して右腕を負傷し傷痍軍人となって帰ってきたため、芸人を諦めておでん屋を営む。しかし麻雀や酒におぼれて店は妻の三益愛子にまかせきり。長女山本富士子、次女が池内淳子、三女が大空真弓
スペシャルの池内淳子はこの映画では影が薄く、幸も薄い役柄で、池部良演ずるところの倉橋の別れた妻(淡路恵子)と一緒になった大屋五郎(植木等)に恋慕するも報われず自殺してしまう。植木等は「わかっちゃいるけどやめられない」の台詞を吐く。
三女大空真弓は若手ダンサーだったが赤坂のキャバレーに引き抜かれ、しまいには親の説得を振り切って台湾へと旅立つ。大空の告白を聞いた父加東大介はショックのため卒中を発病し半身不随となり(名演!)寝たきり生活。娘たちがことごとく幸薄く、しかも夫が寝たきりになった母三益は気持ちの持って行き場を失い、一升瓶でやけ酒をあおる。酒乱気のある三益はその酒のために大暴れ。この三益の荒れる迫真の名演が逆に切なさを誘う。
前の旦那である森繁久弥(軽薄でだらしない役柄。これまたいい)によりを戻そうと何度も誘われ、なりゆきで一夜をともにしてしまったが、変わらず池部にひそかに思いを寄せ続けていた山本富士子は、池部が自分の妹の大空に好意を抱いていたことを知り愕然とする。その大空が台湾に旅立ったため、ようやく自分の気持ちを池部に告白しようとするが、酒乱の母に寝たきりの父の姿を見て、この運命を一人背負い込もうと決意し池部を泣く泣く突き返そうとして、ラストシーンは雪の隅田川岸。向こう岸に聖路加病院が。
原作と大きくかけ離れていて、人物の枠組みというエッセンスだけを抜き出して換骨奪胎した映画だと最初は思っていたけれど、山本富士子の美佐子の演技を観ているうち、浅草という町の後景に隠されていた原作の人間関係を前面に出し、それを深く読み込んだものであることに気づき、豊田四郎監督の技量に感服した。
人間が前に出ているものの、まだ渡し船が存在した佃島隅田川の風景や、銀座、有楽町の日劇など、昭和30年代の東京もまた見事に映し込まれている。
座席中央部に招待席のような予約席が確保されていた。VIPでも来場するのだろうかと思っていたら、何と、この映画を撮影した岡崎宏三さんがいらっしゃった。かすかに名前を記憶していたものの、帰宅後いろいろ調べたら、豊田四郎川島雄三作品を多く手がけたすごいカメラマンであることを知る。岡崎さんは、上映前にこの作品の見どころ(監督の演出)を簡単に説明し、上映後は映画撮影時の思い出や豊田監督の演出法に関するエピソード、山本富士子森繁久弥ら俳優陣の演技のすごさなどをお話ししてくださった。いまなお現役で活躍中の大カメラマンの昔語りを聴くことができたのは嬉しい出来事だった。
岡崎さんはこの映画について、背中で演技できる人がいなくなった、背中で演技を見せるような映画がなくなったと嘆いておられた。私もこの映画を観て「いいなあ」と思ったのは、山本富士子池部良が仲良さそうに盃を交わしているのを背を向けて聞いているドサ貫役西村晃の哀愁を帯びた背中、山本富士子のくどきを聞く何ともはっきり意思を示さない優柔不断な池部良の背中だった。
【追記】
上記の文章執筆直後、さる方とのメールのやりとりで、この映画が川本三郎さんの『銀幕の東京―映画でよみがえる昭和』*1中公新書)に取り上げられていることを知った。一度読んでいるのだから、舞台が変わっていることは承知ずみのはずなのである。いかに読み方がいい加減かを露呈してしまったことになって、情けない。
ところで同書に目を通していたら、おでん屋「惣太郎」があるのは佃島でなく築地であることを知る。店が面している川は隅田川でなく築地川だったのだ。冒頭の佃島住吉神社のシーン、美佐子の友人で踊りの師匠乙羽信子の家が佃島にあることから、店も佃島にあると勘違いしていた。ラストシーンは「雪の隅田川岸」でなく、「雪の築地川岸」と訂正する。ラストシーンのバックに見える川の川幅が何となく狭く感じ、聖路加病院の建物も近くにあるように思えたのも納得。
同書によれば、豊田四郎監督が消えゆく築地川辺の水景を撮っておきたかったから」(144頁)舞台が原作の浅草から変更されたという。